雑記とか

【月に一くらいで楽しめれば特に文句はない】(>>Delta)


 「更新しなければ」と思い過ぎて苦痛を感じるくらいなら、あんまり気にしなくていいんでないのかなっちうことなのですよ。

 ちなみに僕が「不定期更新しちゃおっか」と踏み切った理由のひとつに、普通のノートで日記をつけ始めたことがあったりします。ブログはもちろん、ネットに上げることのない文章を書き始めちゃうと、意外にこれだけで満足してしまったりするんですよねー。
まぬけづらさんのとこに限って言えば、私は殆ど雑記しか読んでいませんでしたのでちょっと寂しくなるなーという気はする。読むとこ無くなるもの(笑)

ここだけの話、個人的には密度の濃い記事よりサクサク読める記事の方が好きだったり…(ぇ

 /(^o^)\


 ぜ、善処します………(´・ω・`)

 追記部分には、

【GWみじけえ】(るるティー)

【ちょこちょこと直しつつ】(あにたむ亭)

【最初はもっと長文だったけど短くなった雑記】(アニ☆しね)

 への言及もあるよ!

#単にttの話したかったんだけちゃうかと言われると否定できない記事となっています。



【GWみじけえ】(るるティー)

 (*´ω`*)

 稲村さんは天然っちうか、割りとフツーの人だと思いますね。天然に見えるのは世間知らずで胆が太い人だからだと思うんだ。
 まあ確かに癒されるんですけどね!


【ちょこちょこと直しつつ】(あにたむ亭)


>>「世界はこんなにおもしろいんだよ」という説得を私にしなさい
 それは自分自身で見付けるべきものあって、そもそも僕の面白いはむにゅさんの面白いとは違うんじゃないかな、とは思いますね。
 いや、僕生き様を見て「ふむふむ世の中にはこんな面白い奴がいるのか、捨てたもんじゃねーな!」と思ってくれるのであればそれはそれでいいんですけどねっ。そうですよ、人と人が関わり合うことはなかなかどうして面白いことなんですよ!嫌なこと、怖いこと、面倒なこと諸々あるかもですが、楽しいことだってたくさんあるですyp!

 とは言え、そんなの改めて僕が語るまでもないことだとも思いますね。むにゅさんはもう知っている気がする。世の中っていう理不尽と戦って、得られるものは少ない。けれど、戦わなければ何も得られない。それでは、ただただ失っていくだけ。そういうことも、知っているような気がする。

■世界はこんなに面白いんだよーという説得その1

 鼻と肌で分かる四季折々の変化。最近は春めいたというよりは夏の兆し的なかほりがちらほらと。緑の匂いだけでなく、気温・湿度と相まってエネルギーの溢れているような、そんな空気が漂っているよね!なんだかワクワク気分になっちゃうよねっ。

■世界はこんなに面白いんだよーという説得その2

 最近、メモ帳の有効な使い方を覚えました。メモ帳まじ最強!今までアニメ視聴メモ他雑務に使ってはいたんですが、きちんと用途を定めるともっともっと“使える”道具になり得たんですねぇ。

参考リンク:【 使えるプレイヤーになるために(1)】(電網適応アイドレス)
 
【最初はもっと長文だったけど短くなった雑記】(アニ☆しね)

 僕がのらみみを観てもイマイチピンと来なかったメッセージにも、むにゅさんならきちんと分かってあげられるんじゃないか。そちらはまだしも、ぽてまよに込められたメッセージなんてむにゅさんにはきちんと届いていたじゃないか。

 アニメはちょっと優し過ぎるきらいがあって、受け手に何かを要請するような、そんな力はないかもしれない。でも、前を向く勇気とか、立ち上がる元気とか、そういったエネルギーを喚起する力はあるんじゃないかと思うんですよね。多くのアニオタっていうのは、そんな経験があるからアニメが好きなんでしょう。

 ttにおいて、乃絵は眞一郎に「空を飛ぶこと」を無理強いしているような、まるで強迫しているかのように見えることがあると言っている人がいて、むにゅさんがそれに同意していた。僕は本当にそうなのかな、と思ったことを覚えています。乃絵の言葉が眞一郎にとって強迫となる場合、彼を縛るのは彼の見栄、彼の自尊心だ。両親の寝室の前で、彼が言った言葉が全て。

「絵本に全力で向き合うことが怖かった。自分の限界を知るのが、自分の限界が小さなものだと知ってしまうのが怖かった(≒本当はやれば出来る、才能があると信じていたかった)」

 乃絵の言葉を強迫と取るのであれば、それは彼の見栄がさせること。眞一郎の心の表層は「本気を出せば空も飛べるさ。今は本気を出していないだけ」と思っていて、でも心の深層では「本当は自分に空なんて飛べるわけがない。一度“本気”を出してしまって、自分は大したことのない人間なんだとはっきり知ってしまうのが怖い」という気持ちがある。

 彼が見栄を張っているのは、彼が嘘を吐いている相手は自分自身。それを無垢な乃絵は突いてきた、無邪気に。表層の眞一郎はそれに応じなければならない、だってそれは本当だから、自分は空を飛べるのだから。深層の眞一郎は、不安が募っていく。本当は人間ってこんなにくっきり二つに分かれているものでもなく、また眞一郎自身もその通りでもっと混沌と入り混じった思考であったとは思いますがw

 眞一郎は物語の中で、決断していく、悩みながらも前へ進んで行く色んな人たちの姿を見て、徐々に分かって来る。いや、本当はそんなこと最初から分かっていたのかも知れなくて、それはただ単に“気付いた”“思い出した”ことなのかもしれない。乃絵の言葉は強迫ではなく、本当にただただ真摯な応援で、「空を飛べる」という言葉は本来勇気をくれるおまじないだった。

 たぶん、眞一郎が「乃絵のお陰で絵本が描けた」といった言葉には、「君のお陰で本気を出した上で、最後まで描き続けられた」以上の意味が込められていた。彼は乃絵のために絵本を描くことによって初めて読者を意識して、読者に読まれる、“届く”、ということを実感を伴って理解した。
 今までの眞一郎というのは、自分のために絵本を描いていて、それは父と比べられない、“自身だけの何か”が欲しかったから。あるいは、地道にコツコツと努力することで花開くものではなく、“才能があれば”派手に咲き誇るものとしてクリエイティブな“絵本”というものを選んだのかもしれない。

 “絵本を描く”ということは、そういうことではない。
 読者(子供)を楽しませ、ときに悲しませ、そして更にさりげなく道しるべとなるような、助けとなるようなメッセージも込めておく。
 それはただただ、読者の喜びのために。そういうことを、一番大事なことを眞一郎は知らずに描いていた。技術は勉強してきたかもしれない。こんなこと、彼の本棚に並ぶ指南書にも書いてあったかもしれない。
 けれど、初めて教えてくれたのは乃絵だった。読者が喜んで、初めて書き手の心にも喜びが生まれるのを、彼は知る。それが絵本を描くということだと、知る。


 あるいは、乃絵の言葉を“強迫じみている”と受け取る言葉に共感を示すむにゅさんにも、何か目を背けていること、逃げていることがあるのかもしれません。立ち向かって欲しいな、と切実に願いますね。
 アニメには、そういう気持ちを呼び起こす力があるのだと僕は信じたい。

 これは蛇足ですが、チャベスさんにとってシムーンがそうだったように!

#僕はもっと長文だったverも読んじゃいました><
#ウザがられてもしゃーない心持ちで記事を上げてしまいました><