携帯投稿:マスクを着けずに出てしまった僕はどうすれば

 ウイルスより細菌より何より怖いのは花粉。あと満員電車内の人いきれとかとか。
 花粉で鼻が詰まると口呼吸せざるを得ないわけで、なんかこー、あの臭気をナチュラルに口から吸うのは遠慮願いたいのが人の情じゃないですか!(なんのこっちゃ

 とりあえず、俺の鼻よ保ってくれと祈るほかありません……('A`)

 あ、そうそうとらドラ!20話放送しましたね。8~9巻分を残り4話ぐらいでやっつけて、2話でおそらく最終巻分――あるいは原作とアニメは違った展開を見せるのかもしれませんが――を消化、といったところでしょうか。

 今のところ、内容に触れるなら原作感想の通り、という手抜き感溢れることしか言えないのですが、要は今回改めて明示されたのが、みのりんって大河を対等には見てないのだよね、っつーことで。

 さらに竜児の気持ちを無視しているあたりで、彼のことも対等には見ていないとも示されて、誰の気持ちも尊重できないひとの気持ちを、誰が尊重してくれるのかな、という問題にぶちあたる。彼女が行っているのは、繋がりの維持ではなく繋がりの断絶で、それってつまりこんにゃく屋さんと住職の問答だよね。

 そのままに、しておいてよいのかと言うと、僕にはそう思えない。誰にもが他人と共有出来ないものを抱えているのはしょうがないのだけれど、それだけで自身を埋めて、覆ってしまうのは、結果として自分自身すらも見失うことに繋がるのでないかな。他人がいて、はじめて“わたし”は成り立つもので、他人を認めないということは、実は「わたしだけしかいない」ではなく、「わたしすらもいない」となるんでないかな。

 自我っていうのは、極論すれば他からのアクションに対する反応の、集積だと僕なんぞは思ってしまうから。何もないところからアウトプットは出来なくて、インプットがあるから、形作られるのでないかな。

 一度“完成”してしまえば、後はもういらないじゃないとなると思うかもしれないけれど、そこは行き止まりで、袋小路で、停滞で、つまりは“死んで”いる状態でしょうに。

 竜ちゃんにもそういった節が少なからずあるので、みのりんと併せて、ふたりともなんとかなればいいのになあ。