オタクについて。

 へたれゲーム貴族の憂鬱さんの記事、「What otaku?」を読んで思ったことを書きます。

 まずは言葉について。言葉とは人によっては『生き物』と呼ぶように、常に変化し続けるモノです。そんなことは古文を一度でも勉強した人であるなら分かる筈だし、お祖父ちゃん子・お祖母ちゃん子だったりすれば小学生でも分かるかもしれないことだと思います。

ある言葉が世間一般で本来の意味とは違った意味を付与された場合、後付けの方の意味もまたその言葉の意味になるのです。時に、その後付けの意味が本来の意味に取って代わり、その本来の意味が忘れ去られることだってあるのです。

 ですが中には、
「辞書の意味と違う意味で言葉が使用されている。けしからん」
と言う人も居る様です。

1.『オタク』という言葉を辞書で引いた場合、『ある物事に精通していて非常に詳しいがその他の常識に欠ける人』や『ある物事について非常に詳しい人』となる。

2.となると「自分は常識があるから『オタク』ではない」「確かに自分はアニメやゲームが好きだが、あまり詳しくないので『オタク』ではない」

と言う論法を展開する訳です。これははっきり言って見苦しい。

 多分、ほとんどの人は「アニメやゲームに関して詳しいからあいつはオタク」ではなく、「アニメやゲームが好きそうだからオタク」なのだと思います。「見た目で人を判断するな!」と言われるかもしれませんが、人はどうしたって他人を見た目で判断します。だらいない格好をしている人見たら「不清潔だ」と感じるでしょうし、怪しい格好をしてたら「不審者だ」と思うでしょう。同じ様に、アキバ系の服装をしていたら「オタクだ」と思うのです。
それが嫌なら、きちんとした身なりになりましょう。何を以って「きちんとした服装なのか?」や「普通の服装の『普通』とはなんなのか?」と思った方にはここがおススメ。

 服装などの見た目ではなく、言動や行動で『オタク』と判断される場合だってあります。一部の漫画雑誌・アニメ雑誌・PCゲーム雑誌・ドラゴンマガジン・電撃hpなどを読んでいても危険です。「アニメ絵・漫画絵」が表紙で、「マイナー」なモノは大抵、『オタクである』という判断の指標になり得るのです。

 これは前にもここで軽く言いましたが、、「人は何でも枠に当て嵌めて考えてしまうねん!」ってことです。仕方が無いのです。誰かに『オタク』と言われるのが嫌ならオタクを止めればいいし、止められないなら隠せばいい。そう言うのが嫌なら、自分を『オタク』と呼ぶ人に向け、「自分は『オタク』だが、あなたが『オタク』に対して抱いているマイナスイメージは何一つ自分には当て嵌まらない」と言ったことを説明するなり、証明するなりすればいいのです。

まぁ一番厄介な主張は

「自分は美少女ゲームをプレイしているが、それは小説や映画を楽しんでいるのと同じ事で別に2次元の少女相手に恋愛をしている訳ではない」

というモノです。これはね、多分、大部分のギャルゲープレイヤーの主張だと思うのですが、

「心の中のことは誰に分かりませんがな」

ってことです。詰まり、証明不可。ただその場合、別に「美少女絵」や「声優の声」はあまり重要視されていない筈だと思うので、映画や小説も人並み以上に好きな人でなければいけません。


 もう何を言っているのか自分でも分からなくなってきました。まぁアレです、「しょっぱいこと言うのは止めようや」ってことです。