携帯投稿:二次創作について見解の相違

 まぬけづらはアニメに甘いが書籍に厳しく、ぱにっくぽにーは丁度正反対でアニメに厳しく書籍に甘い。
まぬけづらは同人誌(二次創作の)はそれこそ作品本体を破壊するモノだとして忌み嫌っているのですが、アニメ(原作付きアニメはどう言い繕ったところで二次創作でしょう)は壮大な販促なんだから仕方ないじゃないか派です。少なくとも、原作者が儲かるのいいことかなと。
論争の元となったつよきすのアニメ版なんかは下手に原作をなぞろうとせず、プロットや設定などが同じだけの別物である分だけマシだと思ってしまいます。“ゲーム・つよきす”の派生ではなく、“企画・つよきす”の派生だと考えているので。
企画やプロットというネタ段階での派生(二次創作)ならまぬけづらは許せるのですが、ゲームやアニメという完成品の二次創作の方は許しがたく感じてしまうんですよね。個人の妄想はそりゃ自由ですが書籍などの情報媒体に載っけるのは如何なモノかと思っちゃう。


 対してぱにっくぽにー。彼の中での“つよきす”は“企画(プロット)・つよきす”ではなく、“ゲーム・つよきす”であり、原作ファンの大多数もそうである。その前提で言えば“企画・つよきす”の派生という手法というの受け入れがたい。が、「面白ければ許せた」と度量の広さを見せました。でも面白くないらしいです。……まぬけづらが思うに、ここで彼の言う「面白い」といのは単一の作品として面白さではなく「“つよきす”としての面白さ」なんじゃないかと。
まぬけづらは同じネタから出発したモノが、創るクリエイターによって“答え”が別物になるのは仕方ないことなんじゃないかと説いたのですが、

ぱに「そもそも“つよきす”を売りたくて造っているんだったら“企画(プロット)”ではなく“ゲーム”を元に創るべき。監督も脚本も実際にプレイしていないんじゃあ話しにならん!」
まぬ「ゲームをやらないというのは正解だと思う。プレイヤーの分だけ作品の解釈がある訳で、監督や脚本の解釈だけで作品を創ってしまうことこそ避けるべきじゃないか!だったらいっそネタが同じ別物の方が」
ぱに「それじゃあ原作破壊d(ry」
まぬ「だから二次創作だって割り切r(ry」ぱに「アニメは同人誌と違ってオフィシャルだろ!公共の電波に乗って大多数に届くじゃないか!それが原作を知らない人が目にしてあんなツマラナイアニメ版を見て、『ああつよきすってこんなモンか』と思われるのが嫌なんだ!」
まぬ「気持ちはよく分かるけど、そんなの同人誌だって変わらないじゃないか!(確かにアングラな物品ではあるけど、製品として流通している)大体つよきすアニメは面白いって!!」
ぱに「だ か ら それはゲームをやってない奴の言うことであって、俺はどうしたって原作ファン、むしろ信者なんだよ!」
まぬ「褒めろとか良作だって言えってんではなく作品として認めてあげろよ!作っている奴らが“自分の味”を出すのはクリエイターとして当然だろ!」
ぱに「出来るか!大体、それは同人誌だって同じだろ!」
まぬ「一次創作で勝負するべきなんだよ!他人の褌で相撲を取ろうって根性が(ry」
ぱに「一次を造れるまでの技量がないんだよ!でもナニカを創りたいんだよ!」
まぬ「じゃあ売るな!」
ぱに「それこそアニメだって同じじゃないか!」
まぬ「それは作っている本人は依頼通りに仕事をこなしていて、その中に自分たちなりの味をだしているだけじゃないか!第一公式でOKが出ているから(ry」
ぱに「公式って言ったって原画とライターが会社を辞めてんだぞ!」


みたいなことが延々と続きました。結局帰着点が見えなかったのですが、冒頭にも書いた「まぬけづらはアニメに甘いが書籍に厳しく、ぱにっくぽにーは丁度正反対でアニメに厳しく書籍に甘い」で落ち着きました。両方とも言っていることは同じなのに、噛み合わないんですよねー。いっそ二人ともが二次創作完全否定か、完全肯定なら噛み合うのですがw(でなければどちらも似たような矛盾を抱えたまま)
ただ、まぬけづらはゲーム版(PS2版。PC版も貸しt(ry)を借りてしまいました。ぱにっくぽにーはこれでまぬけづらも原作信者に変貌することを狙っているようです。……ま、負けないんだからねっ!!