今日の雑記@07年11月12日分「気付くと今月も半ばですね」

 佐本二厘さんは某すももみたいなふわふわした女の子よりも、やかま系というか強気を売りにしたキャラクターの方がまぬけづらは好きです。
 と、ここまで書いてから自分の嗜好を振り返ってみると「○○はのこういう演技が」というよりも単にまぬけづらがやかま系スキーということに気付いてちょっとしょんぼり。

 他にやかましいにしろ大人しいにしろ我の強い子が好きではあるんですが、まぬけづらの考える“我”って自分の意見を周囲に押し通すような放射的なソレだけではなく心の奥底でネチネチウジウジしているような内向的に溜め込まれて捻じ曲がっているいるようなモノ含めて言っているんですよね。エゴ大好き。

 うおっと脱線脱線。

 気を取り直しまして佐本二厘さんの話に戻しますと、やかま系が一番好き。Dies iraeとかいいと思うよ!

みなみけ 第6話
 まぬけづらはいつも春香春香言っていますが、今回で

春香=マコちゃん≧内田>>>その他

 となりました。マコちゃん可愛いよね!で、でもまぬけづらも無理矢理更衣室に連れ込まれて色んなところをまさぐられたいし、だらしなく服をはだけさせた(半脱ぎにもほどがある)春香とか見たいですよ!!
 し、しかし内田も意外に……ゴクリ。やかましくておバカなキャラは嫌いではないんですが、夏奈ぐらいになるとしつこ過ぎてダメなのかも。うぅーん、難しい(内田は単に“キタエリだから”好きなのかも)。

もっけ 第6話
 本当は特別な力がなくとも、個人が意味づけをすることで、思いこむことで“そんな気”がしてくる。プラシーボ効果みたいなものですが、それは必ずしも悪いことではなくて。
ママンの意見も分かるんだよなー。静流のように見鬼ではないんですし、親の商売(拝み屋)を詐欺まがいの霊感商法と思っているんだろうなぁ。んで、それも一面から見れば間違いではない。ここら辺の確執が解決されることは、ないんだろうなぁ。
 ただ解決されないまでもどういう答えが示されるかは楽しみ。

レンタルマギカ 第6話
 痛い改変が多過ぎる。原作は活字作品なんですから映像化に際し、そぐわない描写を改変したり情報量的に足りない部分を補完するために余分を削りアニメオリジナル要素で説明して~などなど。そういうのは分かるんですが、今回なんかは本来○○が言うべき台詞を削ったり、別のキャラに喋らせてみたり、オチの付け方が違ったり、どうにも、その、納得しがたかったです。

けれど、眠っているいつきにアディが寄り添ってニコニコしている描写を足したことだけで全てを帳消しにしてくれたのでもうそれだけでいいやっ。


妖精眼を発動させたいつきが呪力を操っている描写というのはたぶん世界が赤くなっていることで表現しているのでいいとして、立ち回りはあんな鋭角的な動きではなくもっとふわふわさりげないものであって欲しかったなー。まあけれんみ重視であったり、フィンとの差別化だったりするんでしょうけども。

プリズム・アーク 第6話
 物を知らな過ぎる初々しいカップルと、キザーロフの“入浴シーン”にはもうね、まぬけづらはかなりときめいてしまいましたよ!
黒騎士よりもブリジットの思惑が掴めませんが、おそらく寝返りはしないんでしょうね。たぶん忠臣のままでいるんじゃないかと。
神楽かわいいよ神楽


ハヤテのごとく! 第33話
 別につまらなくはなかったんですが、特に惹かれるものもなく。ワクワク感ドキドキ感に欠けるかな、と。
 回ごとにクオリティの高低に差があるのがなー。単なる場繋ぎに見えちゃう回は単に中だるみというより、尺を持て余している感があります。
ギアスはギアスでもラジオのコーナー「一回だけ従順な俺たち」のパロであったのなら評価出来るんですが~。


CLANNAD 第6話
 風子回だったわけですが、うんうんいい感じ。まぬけづらとしては智代にもうちょいウェイトを置いて欲しかったけどね!
ことみルートに触れると、朋也くんにイラっと来るかも分かりません。


こどものじかん 第5話
 もう宝院先生しか見えない。
 まぬけづらって実はりんちゃんに性的なソレを全然感じていないのですが、これはアレでしょうか。オタク的な不能状態にあるんでしょうかね?こういう方って意外に多そうですけども。エロで釣っていると言うより下ネタギャグとしか捉えられないや~。

 まぬけづらがこのアニメで惹き付けられるのは、ときにコミカルに、ときにハートフルに教育最前線描いてくれる部分でしょうか。教育最前線といってももちろんフィクションなんで、作り話なりの面白さをどんどん加えていって頭でっかちな話ではなく娯楽として普通に楽しめる作りになっているのは凄いよね。
このアニメの肝は青木先生がりんちゃんを救ってあげることではないでしょうけど、じゃあどうなるのかってところが見えなくて面白い。


以下土曜日に書いてた雑記記事。推敲中で面倒になってオチを付けていないのですが、こう、なんというか、気力がね。オチを考えてから(結論ありきで)書きだしているわけじゃないのはいかんですね。日記ブログだからいいけどねっ!


■ブログ記事の投稿数、PV数、継続期間

 ブログを続けていると節目節目を設けて祝ったりすることがあるけれど、何が面白いってそういったときに自然と“これまで”を振り返ってしまうことですよね。
ついつい振り返りたくなる心理の不思議についてはさておいて、回顧するのが楽しいことなんじゃないかと思うんですよ。一日一日を振り返る日記を書いていて、ある程続けると更に大きな単位で自分を振り返る。すると、自分が「こうだろうな」と思っている自己像と目の前にある記事がぶつかって面白いよね。恥ずかしくて目を背けたくなることもままありますがw

【祝1kエントリー】(>>Delta)

 ほほう。うちの投稿数は1983件と何だかあと3件を超えて記事を投稿してはいけない感もある状態ですが、この量はアニメ感想を書いているお陰。
毎日毎日自分でネタを考えなくとも日々3件ぐらいはネタの方から転がり込んでくるんですよねぇ。日常のよしなしごとは「こ、これはブログにわざわざ書きだすほどのことでは……」とか「さすがに生々しくて恥ずかしい」とか「個人情報が……」とかとか詮無いことを考えてしまうので書き難いものでしょうし。
 凄いな~。めでたいかどうかはともかくとして、凄いですよ!

【桃月学園Blog、300万HITを達成しましたよぉ~!】(桃月学園blog)
 お疲れさまとしか言いようがないですwただ、Hit数は少ない方が気楽にやっていけるんじゃないかな~っとも思ったり。息切れしないといいけれども。

【コラム:そういえば創刊三周年、ブログは総合文化メディアである】(利口系無重力blog@北大)

 ブログというよりも、インターネットが総合文化メディアなんでしょうね。で、個人が難しい手続きがいらずに無料で使えるインターネットスペースとしてそれなりに優秀ってことなんじゃないでしょうか。

>>時々書いているけど、ブログに作文をするのは他人に読ませることよりも自分が考えるための方法なのだ。

 これについては以前、『無重力実験とアニメについて』で古蛇さんだったかな。あの方辺りがコメントされていて「なるほど」と思ったんですが、今でも同意出来る考えです。
文字を打ちながら物事を考えるというのは、考えをまとめたり留めておくのにとても便利だと思います。ちょっとラジオをやってみて改めて気付いんたんですが、やっぱり文字って凄いですよ。閲覧性は高いし、容量としてもかなり軽いので取り回しが容易ですし。

 人間はアウトプットすることで初めて自分の考えを覗けるのかもしれませんね~。そうしないでも自分をある程度客観視することは可能なんでしょうが、やっぱり難しい。

 理系文系のくだりについては正直大雑把過ぎるとも思うんですよね。理系文系の間には興味の方向性とそれを満たす方法の違い以上の差異があることは僕も同意しますが(同時に、完全な領域分けは不可能で例外は存在するとは思いますけども)、本(文字)の読み書きまで突き詰めてしまうと頷けない。
自分で書くのはともかくとしても、学術書・参考書以外にもたくさんの本を読む理系の人は結構存在しているんじゃないかと思いますよ~。これは僕の経験から言っているので全然まったく確かなことではないのですが、自分で詩を詠んだり、娯楽小説が好きな理系人間って僕の周囲にたまたま多く存在しているわけではないんじゃないかなと。ブロガーさんをとってみても理系の方は大勢いらっしゃいますし。