今日の雑記@08年3月23日分「今日(も)はちょっと手抜き」

 なんだか今日でAYAKASHIが最終回の様な予感がするのですが、どうだったっけかな。正直、今期ではかなり注目しているアニメで楽しめている方。個人的なネタアニメ枠ではドラゴノーツを追い越しているぐらいですよ!!(素敵探偵はttとの兼ね合いで2クール目から見切っちゃったので……)
 楽しみでもあり、ちょっと寂しいような気持ちもあり。ともあれ、録画はしてないので寝落ちしないように気を付けます。

【かなかな】(るるティー)
 イエスアスミス!!

 来年度はもっと活躍するといいなぁ。


 芸能ニュースというか、ゴシップは基本的に低俗。そんなもんと割り切るしか(´・ω・`)

【 [ 自分の価値判断はどこまで自分で考えたものか ]】(利口系無重力blog@北大)
 
知らないうちに回りの人の意見・考え方にどうしても影響されてしまう。外界からの影響がない、純粋に自分だけで考えた判断なんて、そもそもありえないんじゃないかということ、を気にしているのです。

 それはそうなのでないかな、と僕は思います。それが生き物なのではないかな、と。
 模倣して、学習して、組み合わせて、それだけではないのかなと。

だからもしかしたら不可能かもしれないが、それでも自分の意見は自分で決められるようになりたいし、影響を受けるにしても「影響を受けている」ことを自覚できるようにはなりたいということ。

 人間は誰しもが一定以上、他人との関係性の上で成り立っていると思うんですよね。だから、「自分で決める」のはいいけれどそこまで潔癖に他者の意思が介在することや、その副次的な効果を嫌わなくともいいんじゃないか。そう思います。

 後半は深く同意しますね。僕も自分がどういった状況にあるのか、どのようなものなのか、自覚できるようになりたいです。
 そういう意味で、ブログはなかなか便利。書き出すことである程度“自分”を俯瞰出来ますし、そこから何かを読み取ろうとすることも出来ないことではない(導き出された結論が正しいかどうか別としても)。

それを言っている本人は自分が回りの影響を受けていると分かっていない、自分で考えたオリジナルの意見だと思っていっている。そういうことがあるんだろうなとおもって、その状態に違和感を感じる。

 ガンスリの際にもちょっと触れましたが、僕はそれはそれでいいと思っています。
 本人がそれでよければ、操り人形のように見えてもそれはそれで。僕にはその状態になることを本人が望んでいるように思えるのですよ。どちらかというと楽な方はそちらでしょうから。

 僕は自分が納得できているのであれば、それ以上は望まずともいいんじゃないか、と思っています。その感覚さえも疑い、審判するのは辛すぎる。泥沼だ。ある程度は割り切って、出来るだけ楽しく生きていこうと努力する方が僕には価値があることなのですよ~。

【それはすごく大問題 存在という一個の謎】(隠れ蓑~penseur~)
 僕らは自分の中にあるモヤモヤゴチャゴチャものを整理して、既存の言葉に置き換え、当て嵌めてアウトプットしている。
 となると、もうその時点で、出力された時点で、心のうちにあるものが誰にでも理解出来る形に変容して(や、理解不能なモノもありますけどねwある程度一般化されてしまうという程度の意味合い)世に送り出されているわけで。

 で、自分の思考もおおよそは言葉を用いて行っているわけですよ。そうすると、誰もが“自分”というものを見付けられていないのではないかな、とかたまに思います。

【true tears #12「何も見てない私の瞳から…」(抜群)】(アニ☆しね)
 フヒヒ!!

 逆転も何も乃絵こそが持っていくと初めから……!!!(ごめんなさい僕はストーリーが半ばを過ぎた辺りから言い出し始めました)

>>乃絵は月宮あゆKanonばりに樹の上から落下ああああ!?(ネタバレ引用注意)
 ちょ、え、ここまで読んじゃったのは大誤算でしたあああああああああああああああ!!!!!!!

 まあ、でも、僕は眞一郎×乃絵を信じていますので!

【キミキス pure rouge 最終回】(あにたむ亭)
 よし、ネタバレ感想を読んで「観た気」になったぞ!!
 これで今日の最終回は見切ってOK、と。

一輝と瑛理子は一輝が男前だったから結果オーライになってる気はするけど、瑛理子はどう見たってヤンデレタイプだからちょっと不安になったら手首切りそうだし

 二見さんは原作ゲームでもそういった不安が見え隠れする子でしが、せっかくアニメ化に際して色々改変出来たはずなのにその辺変わらないままなんですよねぇ。
 星乃さんの原作エンドは個人的にはバッドエンドにしか見えなかった(調教洗脳完了って感じ。刷り込みじゃんかそれー)ので、光一と別れることが出来たのは素直によかったと思います。

 摩央姉ちゃんは……うーんと、色々と周囲を振り回したのはアレですが、うまく原作のダメな点を補強していましたし(受験からの逃避としての恋愛をしっかり描いてくれた、絵本のことなど光一のことがどうして好きなのかの理由付けをしてくれたなどなど)、あれはあれでアリなんでないかなと。

 正直、スタッフは原作キミキスをうまく消化していたと思いますよ。ただ、キミキスってガチの恋愛物語とかじゃないんですよ。
 本来はちょっと説明不足だったりご都合主義だったりする部分には目を瞑って楽しむバカゲー。そういった意味では“昇華”出来ていないし、原作ファンがキミキスのどこを楽しんでいたのか見誤っていたんじゃないかなと(ごめん、ある種のバカゲーとして楽しんでいなかったらごめん)

 アニメ版ではアホさ加減で突き抜けて欲しかったなー(もしも僕と同じような意見が多いのだとするれば、「スタッフの~」というよりはそういった方向性に見定めてスタッフを集めたプロデューサーのミスなんでないの)