携帯投稿:まつらいさんは下屋則子系説

 逆に言えば、下屋さんがまつらいさん系とも言えるのではないかと思うですよ。

 さて喰霊最終回。
 どかな。紀ちゃんは悲しみを背負って生きる部類なのかと思うと、厄介だなー、と感じたりなんかしちゃったりして。

 彼の場合、神楽と違って、黄泉を殺せなかった。彼女の負と向き合えなかった。受け入れることも、跳ね退けることも、しなかった。「あれはもう怨霊だ」と言いながらも、けれど戦わなかった。手当てをした神楽と共闘とか、しなかった。また、逃げていた。
 これは悲しさ、というよりも惨めさや情けなさに責めさいなまれるのでないかな。厄介だなって思う。

 雅楽の生き方。黄泉が問うた彼の最期は、やはり苦しんでいた。台詞なしでしたけれど、それはたぶん間違いではなかったんでないかな。

 けれど、彼の苦しみには価値があった。神楽を育て、守れた。
 お陰で神楽は不条理から逃げず、立ち向かえた、受け入れられた。

 そういう生き方は失うものも大きいけれど、同じ分だけ得るものもある。

 逃げてばかりだと一度に失うものは少なくとも、得るもののない生き方なわけで。

 本当はバランスよく、勝てそうなときだけ戦って、負けそうなときは逃げればいいんですが、フィクションのキャラはデフォルメされててあんまり多様な要素は持てないためそういう器用さを持てる人たちではなかった。みな、不器用だった。

 ま、紀ちゃんは漫画の方で挫折から立ち直る姿が、再起が描かれるのかもわかりません。神楽は白叡を身に宿しているからだけでなく、長生き出来ないでしょうし。
 や、それは彼女も納得の上ではあるんでしょうが、あまりにもロックンロール。全力疾走し続けるのは、大変じゃないですか、無茶じゃないですか。

 ……というわけで原作の男の子、がんばれ。ちょーがんばれ。

 漫画、買おっかな。