『女郎蜘蛛~真伝~』雑感その1 誰かを認めないと自分自身も認められない

 今日はアマガミを進めたりドルアーガ総括(ウラーゴン萌えだよね、的な)を書いたりする予定だったのですが、ほとんど一日掛けて『女郎蜘蛛~真伝~』を進めておりました。

女郎蜘蛛~真伝(まことがたり)~ 通常版女郎蜘蛛~真伝(まことがたり)~ 通常版
販売元:ストーンヘッズ
発売日:2002-07-26
おすすめ度:4.0
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 とりあえず蝶子のハッピーだったりグッドだったりするエンドには辿り着きましたが、何この鬼難易度。

 まず一週目でいきなり良い御方エンド(純愛ゲームでいうところのどのヒロインにも引っ掛からないでゲーム期間が終了してしまうエンド)になってしまい、それからどれだけ試行錯誤してもやはり良い御方エンド。仕方ないので攻略サイトの力を頼っても、1時間ぐらい良い御方エンド。

 目指すヒロインの尻を追い掛けるだけではダメどころか、SLGパートでもシビアなハードルが設定されていまして、これがどうにもやり応え有り過ぎましたねー。面白くないわけではないのですが、エンドを見るために何週もすると若干飽きてくる。会話差分という“ご褒美”もあんまり美味しくないですしー。

 ただ、本作のシナリオは確かにこの苦難を耐えただけの価値がありました。

■エンディング34b「蝶子」
 ピグマリオンコンプレックスに反逆するお話。

 実際に、それを完全に消し飛ばすことは出来ないのだけれど、自己欺瞞であろうとも、ある種の幻に身を委ねようとしたのだとしても、最後の一線でお互いが対等であろうとしたのがポイント。

 それは身を苛むほの暗い情動が故ではなく。
 ひとがパンだけでは生きられないことの証左であり、ふたりが誰かに求められた役割を演じるのではなく、ただただ“自分自身”で在ろうと努めた姿であって、おそらく本作でもっとも描きたかったことであろう縛られた心の解放でありました。

 心を縛っていたもの。
 それは藁で編んだ縄ではなく、張り巡らされた情念の蜘蛛の巣でもなく、誰かと、何かと触れ合うことに怯える自分の心。「自分だけの価値観で編まれた世界」から抜け出すことへの、恐怖。

 その恐怖はどうやっても消えるわけではない。けれど、立ち向かう勇気を得る方法はある。それは、まず「自分だけの価値観で編まれた世界」を誰かに認めてもらうこと。肯定されるされない以前に、“それ”が存在すると、誰かに認めてもらうことなのではないかなと。
 これがあるから、「(見てくれた)相手の価値観で編まれた世界」を見てみたいと思えるのでしょう。

 このお話の展開の仕方って恋愛ものはもちろんのこと、モラトリアムからの脱却的な意味で青春ものの文脈。

 館もので、縄で、SM調教でこんなものが見られるとは思いも寄りませn……あ、あーひ、久々に見ました><

 昨今の美少女作品は男女のあれそれが主題になっているにも関わらず、しっかり“恋愛”していないものも多い。心の触れ合いがない。
 アクションを起こして、リアクションが返って来て、それを吟味して、前回の結果をもとに再度アクションを起こして……という、コミュニケーションの基本を行わない作品が多い。

 本作本ルートは“障害”を前にして、傷つきながら、戸惑いながらも、少しずつ分かり合おうとする男女の交流が非常に丁寧な形で描かれていました。作品的に二重三重の“束縛”と、そこからの解放が描かれカタルシスもバッチリ。鬱屈した作品であるだけに、爽快感も抜群です。