スーベレーンm800(M)を入手。

 標記の通りである。ストーンガーデン。ヨドバシカメラが通販でなぜかやたら安く売っていた。小キズがあったのでおそらく展示品だったのだろう。

 ともあれスーベレーンデビュー。SouveranとはドイツのPelikan社の出している万年筆で、「卓越したもの」という意味を持つペン。万年筆の代名詞といえばモンブランペリカンであり、名前は知らなくても黒地に金縁の万年筆(モンブランの代表モデル)やグリーンストライプに金冠の万年筆(ペリカンのスーベレーン代表カラー)を見たことのあるひとは多いはず。今回はスーベレーンの限定カラー。ストライプではなくてモザイク調の軸。m800は太軸でニブ(ペン先)が18金のモデル。ペンポイントが多くの国産万年筆の丸研ぎではなく角研ぎ。回転吸入式。

 スーベレーン(に限らない舶来万年筆)は日本語向きではないと言われており、あまり興味がなかったが、安かったので入手した。前々からきれいなペンだな、と憧れはあった。実際手にしてみると、かなりよかった。大型のニブはプラチナの3776を思い起こし、美しいバイカラーニブはセーラーのエントリーモデルのようでニブの撓りはPILOTの上級モデルに近い。最初から中字を選んでおり、ノートや手帳の細く小さな罫線に書き込む用途ではないため、「日本語が書きにくい」がわからなかった。書きやすい万年筆。ただ、引っかかりは極端に少ない。実は国産万年筆はあえて「引っかかる」ように調整されているが、これにはそれがない。(多少引っかかりがあるほうが込み入った文字である日本語に適しているとされている)でもまあサインペンって書きにくいですか?ということだ。ボールペンでいえば、ジェットストリームみたいな低粘度インクのペンが日本では人気を博している。引っかかりのないペンだからといって極端に日本語が苦手ということはないのだ。

 良いペンを入手した。しかし、これは幸福が増えただけでなく苦しみも増えてしまった。なんてことだ!世の中の万年筆のストライクゾーンが広がってしまった!!!あらゆる万年筆がほしくなってきてしまった!!!!!

 次はブラックストライプのスーベレーンが欲しいです……。

Kindle Unlimitedを利用している

 KindleUnlimitedを利用している。

 2ヶ月99円とかのときに利用し始めて、惰性で続けている。毎月980円。毎月雑誌を数冊読むだけで元が取れる。ファッション雑誌もゴシップ誌もエロ漫画雑誌だって読める。まあなんといっても趣味の文具箱。バックナンバーがほぼすべて読める状態になる。当然新刊も読める。しかしどうなのかな。趣味の文具箱を出していたエイ出版が倒産して、事業を引き受ける企業も出てきたけれど、継続してKindleUnlimitedに出してくれるのだろうか。

 DIMEとかMONOQLOとか、メンズクラブとかゲーテとかダヴィンチとか普段はまず買おうと思わない雑誌も読んでいる。文房具関連、雑貨、服飾、アウトドアアイテム(通は「ギア」と呼ぶらしい)、興味のあるものから興味の薄いものまで、雑誌は惰性で読める。新聞も読めるといいなあと思うが、980円で新聞がいっぱい読めたら新聞社が破産してしまうかなという気もする。

 アウトドア系の雑誌を読むと、なんとなくキャンプってやつ楽しそうじゃんとか思うのだけど、まず必須のものとして車がある。自家用車。我が家には遠いもの。あと、特に大きく指摘されないけど、アウトドア環境、必ず虫や小動物だのとの遭遇があると思う。心情的に避けたい遭遇だ。

 だからちょっとアウトドアってファンタジーで、つまりファンタジー世界には水洗トイレもトイレットペーパーも存在しないけどなんとなく登場人物たちに対して特別汚い印象を受けない、みたいな感じで雑誌を読んで浮かぶ「キャンプってやつ楽しそうじゃん」にはそういう些末事は排除されている。雑誌で読むくらいがちょうどいい距離感なのかもしれない。

ソシャゲができなくなった

 ソシャゲができなくなった。ソシャゲ。ソーシャルゲーム

 FGOアズールレーン、超昂大戦、メギド72、アークナイツ、このあたりは一応プレイ中といえると思うんだけど、3ヶ月ぐらいやっていない。たまに起動だけはしている、みたいな感じ。ログインだけでもすればログインボーナスぐらいは受け取れるのだけど、ひらくことすらしていない。

 ソシャゲ、「生活のなかにはいってくる」感覚がある。スタミナ消化、イベント消化などの関係で24時間常に頭のリソースを食われる感じがする。精神的に余裕があるときはそうやって「常に楽しいこと」で頭のなかをいっぱいにしていてもまったく問題ないのだけど、仕事にせよ生活(家事や子育てとかね)が込み入ってくるとどうしてもしんどい。

 というわけで、ソシャゲができなくなった。

明智抄さんに寄せて

 漫画家の明智抄さんが亡くなった。ブログをぜんぜん更新しなくなって久しいが、「いつか感想記事を書こうかな」ぐらいの気持ちではいた漫画家だった。もうずっと更新していないくせに何を言うんだお前は、と思われることだろうが、「これはちゃんと記事を書きたいな」と思うことはいまもある。パソコンのメモ帳にその草稿みたいなのを書きはじめて、ちょっと書くのに飽きて、そのままツイッターに上げてしまう、みたいなことになればまだマシで、書き散らしたまま保存しなかったりもする。

 でも、今日はちょっと何かを書こう。

 明智抄さんというのは、歴戦の古強者である。昭和の時代から漫画を描いてらした。しかし、ぼくが彼女を知ったのはごく最近で、ここ10年ぐらいのことで、読み始めたのはここ2~3年ぐらいのこと。インターネットの友達であるところのangelcrown(きぶな)さんに教わった。いやきぶなさんは実のところ知り合った当初から「死神の惑星」の話をしており、つまり10年ぐらい前からしていたのだが、ぼくが実際に読むまでに7~8年くらいかかった。ずっと不義理をしていた。

 そういうわけで、まずは「死神の惑星」から読み始めた。本作は出だしから家出美少年がヤクザな青年実業家に拾われる。いまでいうBL。昔でいうやおいというほどではなくて、JUNEぐらいの感じの”濃度”。もともとの庇護者(あるいはそれらを内包する価値観)からはなれてアイデンティティを喪失した少年があらたな庇護者(そしてそれに合わせた価値観)を手に入れる。アイデンティティを得る。古式ゆかしくも古びれない王道。

 でも、この「死神の惑星」という作品は、それだけではない。手塚治虫火の鳥シリーズめいたSFであり、シロッコシリーズと呼ばれるクローン人間の運命について語ったシリーズだったのだ。手塚治虫火の鳥はすべてのシリーズが「火の鳥」だが、この明智抄シロッコシリーズについて物語る場合は毎回タイトルが変わる。死神の惑星はその嚆矢でありながら時系列上の「はじめ」ではない。さまざまな明智抄作品にシロッコシリーズのかけらがちりばめられており、全部つながっている。しかし、物語としてはそれぞれで独立しており、完結している。そこにおもしろさを感じてグイグイ引き込まれてしまった。

 しかし、残念ながら死神の惑星そのものも未完だし、明智抄さんが亡くなったことでシロッコシリーズについての物語も未完となってしまった。魂のありか、こころのありか、うつろな人間を幸せをさぐる、そういうテーマの”答え”のようなものは明智抄作品のそこかしこにあることはある。

 明智抄名作選「毎日のセレモニー」は短編集だけあって”長編でやろうとしていることの答え”がそのまま載っているような風合いで、誰かの幻影、自らのなかにだけある世界を飛び越えて、他者とつながることを描いていた。それは楽なことではないけれど。シロッコシリーズを通して語られようとしていたことのヒントもここにはある。何もかもわからないまま消えてしまったわけではない。

 しかし、それはそれとしてとても残念です。60歳は若すぎる。もっと読みたかった。お悔やみ申し上げます。