魔法少女リリカルなのはA's 6~8話纏めて感想文。

8割完成





土曜日の9話までに間に合いそうに無い件。  最初に断っておきます。前まで公開していたこの記事は、まずメモ帳で書いたモノをコピペしたんですよ。2回、コピペしたんですよ。

……間が切れてました!

えっと、文A、文B、文Cがあるとして、「文Bが抜けてました!てへ(はぁと)」なら可愛い失敗話なのですが、「文Aの途中から文Cが始まってました!」なのでした。分かり難いかな。
恐らくですが、読んだ方は多少の違和感を感じつつも、
「主語が抜けている訳じゃないから、まぁこいつが文章書くのが下手なんだろうな」
程度のことを思われたのだと思います。すみません。でも、もう1度読み直すとかしない方が良いです。抜けていた文を追加したところで、内容は大して変わっていません。この前書きモドキを書いている理由は「6話感想を前に読んでいて、7話以降の感想を読んだ」際に齟齬が出るだろうので書いているのです。申し訳ない。


てな訳で以下感想。

なのは感想と考察を分けているhalogenさんをパクっ見習って、まぬけづらも純粋な感想と憶測やら推測やらが混じった考察(じみたモノ)を分けて書こうと思います。



第6話「それは小さな希望なの(後編)」の感想文(観て思ったこと・感じたこと)

お話としては、第一に守護騎士たちとはやての絆が描かれていました。守護騎士は本来闇の書のおまけであって、主との関係はフェイトとアルフの様な「単なる道具ではなく、心の繋がった、信頼できるパートナー」という関係ではない筈です(つーても、『本来の』夜天の魔導書での守護騎士たちの扱いは不明です。わざわざ人間形態であるし、『元々人格があった』様ですし、『本来の』夜天の魔導書での守護騎士の存在意義は今の、はやてとの関係の様に『言う事を何でも聞く人形ではなく、信頼できるパートナー』であると推察できます)。それがあの様な暖かい関係を築いていて、守護騎士達がそれを『暖かい』と感じられていて、そこが涙腺弛むポイントですよね。

で、その絆こそが、『はやてとの関係』を『暖かい』と感じられることが守護騎士たちの行動の理由になっていた訳です。これで彼らが一方的な『悪』ではないことが確定した訳ですが、8話を観た限りでは闇の書完成の暁にはきな臭いことになりそうです。
 


第6話「それは小さな希望なの(後編)」考察(観て考えたこと)

 クロノかリンディ提督、はたまたリーゼ姉妹だったか。確か彼らのうちの誰かが「今までの闇の書関連の事件では、守護騎士たちに人格がある様には思えなかった。今回はイレギュラーである」と言っていたと思います。
今回のお話を観てみると分かると思いますが、正確には「人格は元々あったが、今までの主がそれを(人格を持って自由に発言・行動することを)許していなかった」ということの様でした。

ですが、8話を観てからこれを書いているまぬけづらは思います。

「果たして守護騎士たちは本当に今まで『一度も』家族の様(主のパートナーの様)に扱われてこなかったのか?」

と。もしかしたら仮面の戦士の正体はクロノ父では無いのかも、それはミスリードなんじゃないかなぁと。でも一方で、『その線』は薄いと考えています。前作だってそれほどのトリックは施されておらず、「フェイトは本当はプレシアの娘ではない」というのはある程度読めていた、と言うかそれとなく分かるように伏線が張られていました。ですので、『この線』は無いんでしょうね。
てな訳で、『この線』ならED曲の歌詞にピッタリ合うと考えていたのですが、まず有り得ない。



第7話「壊れた過去と現在となの」の感想文です。

 クロノ父の情報がやっとこさ出てきて、これ見よがしに仮面の戦士が登場しましたね。しかも彼奴めは我らがなのはを緊縛したり、フェイトのリンカー・コアを奪ったり、シグナムにセクハラ(「さあ、奪え」はセクハラですよ、ええ)したりと大暴れ。
まぬけづらなんかはデモンベインサンダルフォンを思い出してしまいました。理由は檜山さんだから。駄目だこりゃ。

 視聴者視点で言うと、前回と前々回で「お互いが争い合う理由」が分かってからの初めての真っ向勝負。どちらの気持ちも分かるから、安易に片方だけを応援することが出来ません。いや、なのは達に事情を話せば…とも思いますが、闇の書とはやてのリンクを断ち切った場合、もしそれが出来た場合は、『守護騎士との別れ』が待っている気がします。それは駄目だ。それじゃあ駄目なんだ。某アイシアじゃないけど、皆が幸せになって欲しい。そう思います。

そこで第三勢力とも言うべき仮面の戦士の登場。これはどういうことなのか。何やら守護騎士たちを助けていますが、彼女たちと行動を共にしていないことからも、彼は彼独自の意志の基に活動していると見ていいんでしょうね。このアクシズめ、ネオジオンめ。

「守護騎士たちははやての病気ために行動してるんだろうなぁ」と言う風に思っていたので、彼女達の理由は半ば予想通りでした。
ですが、仮面の戦士の行動だけは謎です。彼がクロノ父だとして、過去の出来事の全容が分かりさえすれば想像が尽くのでしょうか。



最後に、7話を観た時点で思ったことは、リンディ提督がフェイトをさん付けで呼び、フェイトもリンディ提督には敬語であること。
3話辺りで『フェイト、ハラオウン家の養子入り(予定)』の話があった時に、
「ふむふむ。話が進むうちにこの他人行儀なやり取りがだんだん親密になっていく訳だ」
と思っていたのですが、未だのようですね。とは言っても、クロノ父話がキチンと済んでからか、最終話近くで親密になるんでしょうね。



第7話「壊れた過去と現在となの」考察



以前、シャマルが行った様な距離を無視した攻撃(空間と空間を繋げた?間に亜空間でも通ってるの?)ではなく、転移魔法で裏を取り、不意打ちでずぶりとやっていましたね。別に血とかは出ませんでしたが、グロかった。

で、ヴィータのところにも空間転移していますね。

8話を観たところ、それは有り得ない程の業だそうです。上位魔導師と言ってしまえば身も蓋もないですけど、……もしかしたら、もしかしたらですが、彼は守護騎士たちとリンクしているのではないでしょうか。いやまさか、はやてだってリンクはしていないのにそんなことあるわけありませんよね?闇の書の主だってリンクはしていないのに、ねぇ?

ところでアルフがまた
「ご主人様が間違っていたら止めるのも、守護獣の務めはないのか?」
みたいなことを言っています。そんな訳で守護騎士と闇の書の主との主従関係。これが分かり難い。取り合えず守護騎士たちのことで分かっていること、予想を書いておこうと思います。

既出情報

「守護騎士のプログラムは、闇の書の章にある(プログラムと言っても、擬似生命扱いであり、過去の主の記憶も持っている。その都度『新しい守護騎士』が形成される訳ではない)」
「守護騎士たちには人格があり、主の命令が無くとも自立した行動が取れる」
「守護騎士たちにはそれぞれ、役割(ロール)がある」
「守護騎士たちの使用する魔法系統は現在主流のミッドチルダ式ではなく、過去に使われていた危険な術式・ベルカ式」



予想

「通常の使い魔にある、精神的なリンクは無い」
「人型のインターフェイスであることから、主とのコミュニケーションも存在意義の一つ」
「常時起動していることから、それなりに魔力を消費している。維持にははやての魔力を消費していると考えられ、またその様な発言もあったが、もしかすると闇の書のページも随時減っている?」
「ベルカの騎士自体が『夜天の魔導書』・初代主(作成者)のコピーではないか」
「ベルカの騎士は『夜天の魔導書』の初代主(作成者)の使い魔だったのではないか」



 後半2つの予想はシグナムがよく口にする「騎士云々」と「守護『獣』であるザフィーラの存在」が不思議だったので、考えた憶測と言う名の妄想です。蓋然性なら無くはないですけど、必要性は感じられないので。
はてさて、『予想』の部分は置いておくとして、ここで問題なのは守護騎士たちの自立性ではないかと思います。彼らは主・はやての預かり知らぬ所で秘密裡に活動していますが、はやては彼らの行動を把握することは出来ないのでしょうか?精神的なリンクがないとは言っても、守護騎士を「闇の書を介しているだけど、基本的には使い魔」と同じモノであると仮定した場合、命令を下す際に不便です。まぬけづらが思うに、「守護騎士を制御する魔法は確かに(闇の書のページに)あるが、はやては魔導師ではないから使えない」なんでしょう。
と、ここまで書いていて、守護騎士とは
「主を護る為に在る」のではなく、「闇の書そのものを護る為に在る」
のではないかと疑ってみたり。そう考えても特に違和感はないです。プログラムであるならば、正式な主となれば意のままに出来るのでしょうが、そうでない場合は書そのものを護るためにあると考えても良いような。主なんてモノは守護騎士からすれば“闇の書”を構成する要素の一つなんじゃないかなぁと。

まぁそんな感じです。穴だらけです。そもそも日を空けて書いているので書いている本人が混乱しています。駄目だこりゃ。



第8話「悲しい決意、勇気の選択なの」

 ヴィータが忘れている、大事なことってなんでしょうか。『はやての幸せ』を構成する要素とはなんでしょうか。
僕が思うに、『家族』『友達』を基に構成される『今の暖かい生活』なのだと思います。
ヴィータが言っているのは多分、『はやてを助けようとして、逆にはやてを蔑ろにしているんじゃないか?』と言うことなんでしょうね。それはつまり、手段と目的が入れ替わってしまっているんじゃないかと言う漠然とした不安なのかな、と思います。

と、いけませんね。これは守護騎士たちが「はやての幸せ」を理解しているという前提で考えていますね。

では、自分たちの行動がはやてに寂しい思いをさせていて、それがどうしようもなく切なく感じるから出てきた言葉、と言うのはまぁOKですよね。考えるな、感じろとリー先生も仰っていました。

一方では更に、はやてが真のマスターになることへの不安も抱いているのかもしれません。彼女は魔導師ではなく、普通の女の子なのに、強大な破壊の力を託してしまうこと、そして彼女が望む望まないに関わらず起こるであろう管理局との衝突。それは、はやてを真のマスターにすることは、彼女の命を救うと同時に戦いを強制する道でもある訳ですね。隠遁生活をすればいいじゃないか、と言う問いの答えは「管理局が放っておかない、それははやてに逃亡生活を強要するモノで、『今の生活を壊してしまう』と言う意味では無為でしかない」だと思いますし。