『Fate/Zero Vol.1 -第四次聖杯戦争秘話-』の感想文です

Fate/Zero Vol.1 -第四次聖杯戦争秘話- (書籍)


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 誤解を恐れずにFateっていう作品を語ると、やはりこれは士郎くんが主人公のお話であるわけですよ。セイバールートでは彼が「うひょー、セイバーかっけー!俺もいつかは……ッ!」で、アーチャー凛ルートでは「俺が間違ってる?んなわきゃないってのっ!」で、最後の桜ルートは「ごめん、やっぱり俺が間違ってた\(^o^)/」となるお話であるわけですよ。物凄く僕的な感性で言うと、ピーノが人間になるまでのお話。少年少女が主人公の物語だと、どうしてもビルドゥングスロマンの趣きがあるのは半ば“お約束”となっていますが、それを圧してでも個々の持つアイデンティティというものに重きを置いた作品なんですね。士郎という男の子は物凄く空虚な子で、彼に“中身”を与えるのがこの作品に掲げられた命題とも言えるでしょう。

 それが果たされるのがどのルートかというのは言を俟たないことでしょうし、もう以前に語ったことですのでここでは触れません。ただ、僕がフェイト/ゼロの一巻を読み終えて改めて感じたのは、やっぱり本作のトゥルーヒロインはあの子なんだなー、ということ。うんうん、分かってるじゃんか虚淵たん!……加えて、強く感じたのは「イリヤルートは個別のものとして存在していなくてよかったのかもしれない」ということ。桜エンドのうちで僕は士郎が帰って来ないエンドこそ至上だと思っていますが、彼が帰ってくるエンディング。トゥルーエンディングですか、ライダーが現界したまんまでみんなでお花見するアレね。あの、全てを吹き飛ばすハッピーエンド(「全然吹き飛ばなかったよ!」という異論は認める)をお膳立てしたのがイリヤだということを考えると、うん、なるほど本来あり得たであろうイリヤエンドもどうせこういうオチがトゥルーなんだろうし、こうした方が(士郎とイリヤの間に男女の関係がない方が)スッキリ綺麗にオチが付くな、とも思います。彼女が自身をイリヤスフィール・アインツベルンではなく、聖杯の器、あるいはホムンクルスではなく、衛宮切嗣の娘であり、ただの人間であり、そして(悲願の成就とか第三魔法の顕現とかそういうことのためではなく)愛する弟のために生命を張った、ということが肝要なのであります。それを為すことで彼女もまた……。

 まあ何が言いたいのかって言うと、ホロウはたぶん無粋な作品であったことでしょう。ありゃ蛇足もいいとこで、野暮なゲームよ。でもゼロは違うみたいだぜ?、ちうことであります。面白いよ!


 いかんしまったしまった、全然ゼロについて語ってないや。えーと、これは言峰綺礼という男の子がアイデンティティを確立させるお話な感じ。Fateにおいてラスボスにあたる彼は士郎の写し身であるわけで、もっとも近しい存在。バトルロイヤルを魅せるために群像劇の体裁をとっちゃあいますが、見所としては彼が苦悩し、その末に出す答えに着目、といったところでしょうか。あとはまあ魔法と硝煙とほんのちょっとのギャグ分の詰まったエンターティメントに浸り切れるところも魅力なんでしょうが、やはりね、そんなんは枝葉末節ですよ。