そろそろ書いておきゃなーと思うのでぼちぼちと


【何度でも書けばいい】(>>Delta)


 これに沿って、僕の感想スタンスを再度書きますね。

 最近、友人との会話でちょっとした衝撃を受けました。ああ、「俺何度も書いて来ているのに!」と思っちゃった。
 とはいえ、たとえログにあろうと、読者さんにはそういうことは関係ないのでしょう。なので何度でも書きますよ、ということであります。



 Fate/zero一巻の感想を上げて、いの一番に友人から突っ込まれたのが、

「でもオフィシャル(の意見・解釈)じゃないんでしょ?」

 だったんですね。

 で、僕が返したのが

「うん、その通り。“唯一の正解”を出すなら公式設定のみ。でも解釈は人それぞれで、万人が正しいと思えるものってないと思うのね(個々人に正解はあって、それが完全に正しく、誰もがそう感じるであろうという意見のフリをして、押し付けようとするのでもなければ、“個人の持つ正解”は誰かに咎められるものではない)。仮にあったとして、それって文にすると凄く淡々としていて味気ないものじゃないのかな」

 だったんですよ。

 その上で相手の言い分をよく聞いてみると、どうやら、

「あとはまあ魔法と硝煙とほんのちょっとのギャグ分の詰まったエンターティメントに浸り切れるところも魅力なんでしょうが、やはりね、そんなんは枝葉末節ですよ」

 この一文が気に入らなかったらしい。

「超大事だよ!そこが肝心なんだよっ!」

 ということなのでしょう。(や、他にも僕の言うところの「セイバーエンドは俺的にバッドエンドにしか見えない」とか「士郎って詰るところお人形さんなんだよ!」とかについても色々とお話したのですが、こうなると本筋から外れてしまうので除外)

 もそもそと(≠そもそも)口に出すと、僕はあの文で言及したものを低く見ているとか、馬鹿にしているわけではないんですね。確かにおまけ扱いしたけれど、あれらがなければFateFateじゃないよね、とも思っている。ただ、僕にとって最重要でないだけであって。

 なるほど、おそらくその友人には、

「重要度が低い」→「低く見ている」→「(ブログに書き出すことで)その要素は価値の低いものだ、劣るものだと断定し、世に広めている」→「なんだとー!一般性のない意見をさも一般性があるかのように書きやがって」

 という風に“読めて”しまったのでしょう。な、なんか覚えがあるやり取りをしたぜ。

 まあ、この友人との会話は本当に大したことがなく、お互いの見ている“面白い点”こそ違いますが、結局は「Fateっておもろいよね」という一点で共通見解が出て、双方の感じる長所を言ってみたり解釈をちょろちょろ話したりで落ち着いたわけなんですけどね。やっぱりなんか覚えがあるぜ。

 僕の感想スタンスについては、サイドバーである程度詳しく説明してあるつもり。あれじゃ足りないのかもしれない。けれど、友人でさえ読んでくれないんだから、あれ以上長々しい文を書いてもあんまり効果はないんでしょう(もっと短くすっきりまとめろという声が幻聴として聞こえますが、きっと気のせい気のせい)

 どうしようかなと思っていると、ふとカスパさんの声が聞こえたような気がしましたこれがヒゲの力か!

 というわけで、何度でも言いましょう。

 僕の感想は、“僕”に立脚した上で書いています。あるいは、作品には立脚していないように見えるかもしれない。それはおそらく、僕と読者の間で情報や(やそれに連なる価値観)が共有出来ていないからではないでしょうか。

 しかし、それは当然のことで、誰に咎められるべきものでもないと思いますね。(もちろん、気に入る気に入らない問題があるのはしょうがないとして。僕は万人に気に入られる・受け容れられるなんて、そんなことは思っていない)

 たとえば僕が、ある漫画の一巻だけを取り上げて、

「描写が不足しているし、設定ややこしいしで、読者に優しくない作品だ」

 と言ったとする。するとファンの人に、

「いやいやその辺は前シリーズ(or番外編or設定資料集)で語られているんですよ。それでなくとも、第~~話の~~ページでも軽く触れられていますし、作者が不親切なのではなく読者が知ろうしなさ過ぎるのではないかと」

 と叱られたりするわけですね、いや本人は親切のつもりであって、決して怒っているつもりはないかもですが!

 しかしですね、このときに僕の書いた感想の骨頂というのは、狭い視野で語られていることにこそある。このたとえ話で言えば、前シリーズであれ番外編であれ設定資料集であれ。
 それを知らない人が書いていることに価値があるのであり、誰でもなく僕が書いていることに意味がある。(まあ、後者については、初見の読者さんや、最近気にし始めたよ、ログとか読んでないよ、という読者さんにはまったく関係のないことではありますけどね)

 知った上での感想は、またそのときにでも書きましょう。いえ実は確約できないのですが、それが僕の心を打つものであれば否が応にも書かざるを得ないことでしょう。


 ただまあ、僕にこういった意見を書く人の言い分も分からないでもない。他人に自分の意見を押し付けるような人は確かにいて、そういった人は、

「自分の好きな作品はしかるべき宣伝さえ足りていれば、誰が読んでも面白く、素晴らしいのだ。逆もまた然りである。この話が分からない(≒自分と意見を異にする)奴は程度が低いのだろう」

 といった調子ですからね。タチが悪いのは、自分の傲慢さを認めていない、自分の意見・感覚を伝えようとしているのではなく、一般性のある意見を言っているだけだと思っているところ(別の言い方をすれば、“正義”を背負っているところ)。僕は“私の言葉”というのは、一般性がないから価値があると思っているクチで、こういうのはちょっと手に負えないなー。

「~~はもっと評価されるべき!」とかって言葉を、敢えて信者風に褒めてみるネタ(皮肉っぽく褒めてみる遊びorまんま皮肉)とかではなくて、真面目に言っているなら我が身を振り返ろう、ちょっと危険だよ!

 これは自戒を込めて、書いています。自分で気づいていないだけで僕もそういうことを書いているのかもしれない、それは僕の文章力が足りないから誤解を招いているのではなく、本当にそういう人間なのかもしれない。自分で嫌だなーと思うことは、なるべく他人にもしたくはない、そんな気持ちを込めて。

#「おかしいな、俺は特に間違ったことを言っていないのに周囲に理解されないぞ?」というパターンがちょっと自分でもクサイと思っている。やまあ、僕の言っていることは究極「他人に理解は求めても共感は求めない」というスタンスで、しかもそれを自覚的に行うということなので、こんな気持ちに襲われるのも当然と言えば当然(そもそも他人からの承認を求めないという姿勢であるはずなので)ではあるんですけどね(´・ω・`)