恋愛を描くなればこそ、固ゆで卵で行こう

 一週間まとめて感想の作業量の多さに辟易しているわけで、「こんなことなら無理してでも毎日更新だよなー」とかとも思うわけで。
 日記につけるようになったアニ感メモには非常に正直なことが書いているんですが、これはベタ移植出来ないしなー。

 ひたすらにキーボードを叩いていると良い意味でも悪い意味でも悶々としてしまう(いかんものっそい誤解を招きそう)ので、気分転換にサンデーを読んだのですよ。そしたら名作が載っていました。

神のみぞ知るセカイ 第5話「パーティはそのままに」
 漫画の1エピソードなんてくどくどあらすじを説明してしまうほどのものではないんですが、書いておかないと文意が読み取れないこともあるでしょうし一応書いておきますね。

 以下格納。

 お嬢キャラがツンデレた。

 というのが今回のあらすじでしたっ。

 いやー、面白かった。

 女の子が可愛いとか、繰り広げられる恋愛ドラマにときめくとか、1~2話で攻略完了とかギャルゲでもあり得ない展開に爆笑とか、そういうんじゃない。

 今回は特別にアツい台詞を読めたのがよかったんですね。

「ボクもお父さんも忘れた方がいい。これであの娘も自分の人生を歩けるさ」


 これが、胸を打った。こういうことを言ってくれる男の子を待っていたよ!

 恋愛物語において、ヒロインへ向けて

(君は)自分ひとりの人生を歩むべきだ」

 といった台詞を吐く主人公というのは、まあよくいるんですよ。こいつらっていうのは、自分からこんなことを言っておいてヒロインを突き放そうとしない。
 結局ね、自分の方へ振り向かせる方便なんですよね。依存しているものを、自分へ切り替えさせるだけ。

 すっごく抽象的なイメージで説明すると、囚われているお姫様を救い出すんだしたように見せて改めて自分の寵姫として囲い込む、といった具合。誰もが自分自身のことは自身で引き受けなければならないのに。

 それはつまり、その子の“これから”を考えて行動しているのではなく、自分が望む都合のよい未来を求めているだけということ。

 いや、僕はこれを自覚的に行っているのなら許せるんですよ。ちゃんと業を見つめて、背負っている人は好きです。
 ただ、こういった手合いは自分自身の欲求をまるでないものとして、「俺は相手のことを考えているんだ」という甘い嘘で自分を正当化している奴らばかり。自分自身に対して詭弁を弄してどうすんだよって感じなんですね。
 出来の良い恋愛ドラマというのは、そこを皮肉ってくれるものもある。うまく壁を越えてくれるものもある。あるけれど、結局オタクカルチャーと言いますか、多くのギャルゲ・ラノベ・漫画・アニメなどでは「最終的に主人公とヒロインは結ばれる」という不文律があり、この“お約束”が物語を縛っていて、そこに込められたテーマやメッセージを歪めてしまうことの方が多い。


 『神のみぞ知るセカイ』のこの形態はギャルゲのテンプレートを使っていながら、それを乗り越えていくものなんですね。これが1(~2)話完結エピソードの強みなんですが、連作短編って大変なんでしょうね。みんな週刊連載なのに大長編やっているものなぁ。

 いやはや頑張って欲しいところでありますね。これ、先が見えないのも興味深い。

 ヴァーチャルではなくリアルの恋愛を重ねていくうちに“神様”の感受性が高まって行き徐々に力が弱まる路線、このままハードボイルド一直線。僕なんかの浅慮でも二つ道があるように思えますが、はてさて。