今日の雑記@08年5月18日分「いつもながらオチはありません」

 ちなみに、キョロちゃんを描いたのは僕です。一応名乗ったんですが、あれで分かるか不安だったので自己申告してみたよ!

【リア充とか心からどうでもいいかなって感じ】(隠れ蓑~penseur~)
【しなるノートがいい】(>>Deltra)

 以下上記2エントリへの言及があります。


【リア充とか心からどうでもいいかなって感じ】(隠れ蓑~penseur~)
 仮想と現実、なー。うむむー。

 この現実で得ている感覚は本物で、仮想で得ている感覚は本物ではない(おそらく、「だから価値がない」と後に続いている)、というのはちょっと理解し難い物の見方である、というのが石田さんの意見なんでしょう。

 仮想は必ずしも現実の代替じゃないと思いますが、まあ、そういう風に扱っている人もいるのかな。

 でも、たぶん、そうではない人もきっと大勢いると思うんですよねー。

 たとえば、フィクションの物語を楽しんでいるときに想起される感情。これは、現実の体験で培ったものが浮かび上ってくる、というのは充分あり得る。というか、僕の経験では“仮想だけで培った感情”というのは、たぶん、存在していない。いや、あるのかもしれないけれど、自覚していないんだからきっと少ないんだ、そうに違いない(断定)

 フィクションの物語を楽しんでいるときに初めて、見えることもある。理解することもある。ただ、それらの多くは現実の体験に即していて、「あのときの○○は~~だったんだなー」という風に物事の咀嚼を促進させてくれる助けであったり、「そうそう、だよねー」という共感から入る深い理解であったり。

 これは一見非現実的な物語であっても変わらなくて、そこに入り込んでいる要素をどのように変換するか、どのように自分と向き合わせるかという過程を経ていて、作品(仮想体験)と触れ合うのは、あくまでも現実体験の集合である記憶・経験を持った自分。

 ……“記憶”となった瞬間にそれはもう“現実”から遠く離れて、仮想”と同じ領域にあるのじゃないかー、という言葉も聞こえてきそうではありますが、気にしない気にしない。

 ただ、僕のことを言うと。
 
 これまで自分が体験したことに、グサリと突き刺さる物語の方が僕は面白く感じて、そういう要素が入り込んでいる物語を好む傾向にあると、自己分析しています。

 物語ジャンルを細分化して、「こういう物語は~~という理由があって好きなのだ」とか、表に見せるのは恥ずかしいので言いませんけどね!

【しなるノートがいい】(>>Deltra)
 の、ノートをしならせて一体何に使おうって言うのか!?

 いや、めくるときに便利だよね、っちうことなのは分かっちゃいますが(´・ω・`)

>>紙をしならせてぱらぱらめくれないと嫌。
 分かるような、分からないような。
 や、スパイラルの針金で留めてあっても、めくれると思うのです……。僕は普通にめくって使っているので、あんまり不便を感じていなかったなー。

 ただ、このタイプのノートは針金を留める強度を得るために表紙が非常に厚く、綴じてあるページよりも若干大きいのが仕様。確かに少しめくり難いかも。スケッチブックはそもそもパラパラめくり不可能ですし、ふむふむー。

 ちなみに、先の記事でも紹介した『マルマン ニーモシネ N192』は、針金留めタイプのメモ帳なんですが、かなりパラパラめくりに適した、というか、“それ”を意識した作りになっていまして、もしも見掛けたら触ってみるといいかもですー。

 罫線はなー。うーん、文字の大きさを整えたり、段落分けとかに便利なんですよね。いざとなったら罫線を無視して書くことも可能なんですが、仰る通りクリエイティブな作業(集中力が必要な作業)には、些細な雑音があると気が散ってしまう方もいるのでしょう。
 僕はそういった用途で使っていないというのもあるんでしょうが、全然気にしていませんでしたorz


 ちなみに、僕は「今日の名言コーナー」において、「それはアリッサです」と鏡が答えているのを見逃しませんでした。いつだったかは忘れちゃったけどね!
 それはつまり、悪い継母的な人が「この世でもっとも美しいのはだあれ?」と問い掛けた答えだと思うんですよね、うん(目を輝かせながら)