雑記とか 35

 『明和絵暦』読了。

 三九馬の「これが世の相(すがた)か!」は、退廃していく国家を憂いたり、友や妹を斬らねばならなかったり、誤解のもと町人に襲われたりする世の悲哀を嘆いたりというだけでなく、そもそも彼の姿をこそ指しているように思えましたね。

 見識に優れ武勇もあり、何よりも優しさが抜けない彼が、倒幕の志士、かー。彼の思想が尊王寄りだったのかというと、決してそうではなくて、世の人々に「これでいいのか」という問いを投げたかっただけ、というのが哀切を伴って描かれていたんじゃないかな。

 気になった点としては、時代小説なのでしょうがないんですが、余分な登場人物がいたこと。
 話の流れと係わりの浅い、舞台背景に華を添えるだけの登場人物を出してしまうのは、少し残念かな。

 別にノンフィクションなわけでもないんですし~。

明和絵暦 (新潮文庫)


 ……この時間帯のFC2ブログはコメントの反映が遅いのか、そうなのか。ファビョって2回書いちゃったじゃないか、もー。消さないけどね。

 以下、そのコメントの補足。いわば「元永監督語り その1」です。

 もっと練ってからひとつの記事にまとめて投稿するつもりだったんですが、なんだか地雷が爆発してしまいそうでしたのでっ。
否。元永慶太郎の最高キャリアは「スクイズ」監督の一択だと再確認。
まあ、「スクイズ」はシリーズ構成・脚本の上江洲誠の力の方が大きいと思うけど。
あかね色に染まる坂」は楽しみにしてます!(ぉ

 僕は断固として言っておきますが、元永監督にはヌルイコメディをやらせておくべき!

 スクイズでやったことは、つまり「萌え」への風刺というか、もうぶっちゃけ痛烈な皮肉なんですよね。

「萌えヒロインなんて頭が弱くて股もユルくて思い込みが激しくて面倒くさいだけだよ。そしてそれに対する男性主人公側も、それが許されれば、可能であれば、普通に浮気とかしちゃうよね、その程度の人間性しか描かれないのが萌え作品だよね、糞ったれ」

 ということを、徹頭徹尾描いている。

 これは原作自体そういうもともとそういう作品であって、まー、元永監督云々では、ないかな。

 けれど、らぶドルというアニメでも、元永監督は同じことをしている。

 どう考えても電波なヒロインたち。
 ヒロインたちの恋心を利用して、“自分の成功”に繋げる最低の男として描かれる主人公・藤沢智弘。

 どう利用しているのかというと、つまりはルパンをうまく使っている不二子ちゃんと同じ。色仕掛けで釣って、お預け状態のまま飼い殺し。

 これも、よくよく読み取ろうとすると、智弘が鈍感とか、「ヒロインと男をくっ付けるとファンg(ry」とかではなく、萌えヒロインへの皮肉とも取れる。「こんな女を好きになる奴はいないって、顔がよくてもうまく男に利用されるだけだって」っちうこと。

 女性アイドルというはつまり男性の性的欲望を満たしてお金を得るということだよね、ぐふふ、という監督の意識も読み取れる。
 直接的な接触がないだけで、水着になったり(ファンの望む)“特別な衣装”を着たりして歌って踊って、「(ファンの望む)キャラクターを演じる」というのは、結構えげつない。

 主人公たる藤沢智弘はヒロインたちのマネージャー。「もうこんな仕事やりたくない」「自分が何をしたいのか見えなくなった」とか言い出す女の子たちに、自分への恋心を利用して再度立ち上がらせるというのが、彼の常とう手段。

 なんというか、割と最低だよね。女の子に貢がせるために風俗店で働かせているようなものだよね。自分からは決して手を出さないだけに、えげつない。

 備わった魅力(誠の場合は?ですが)を最大限に活用して女の子たちを誑かし、自分の目的のために利用する。これがある種の萌えアニメだよね、ということを2作品費やして元永監督は行っていて、「それと分からないように」作品化しちゃうところに、いやらしさがあるんですが、まーこれは置いておくかな!!

 らぶドルSchool Days(、無印To Heart2期)、キカイダーとファントム、あまえないでよっ!とゆめりあ、この辺はそれぞれセットで語れそうなんですが、さすがに僕の手に余るかな、言責が持てないかなということで自重していたんですが、残り2セットも近い遠い将来書きますね。