『MinDeaD BlooD ~支配者の為の狂死曲~』雑感

 完全にマニア本の攻略手順に従って、「Vampire Hunter」に続き「過去への贖罪」「未来への旅立ち」の両エンド、そしてエピローグにあたる「血欲の支配者」まで見ました。
 取り零しているイベントはまだまだたくさんありますが、「麻由の過去」や江梨衣イベント(タワーでの決別)、田上暴走&失踪などは見たのでとりあえずあとはいいかなと。

Cyc公式
まるごと MinDeaD BlooD 通常版



 想像以上にボリュームが少なかった、というか。決して贅肉に埋もれて脂ぎった作品ではなかったのは素直に嬉しかったです。そういうのは若干食傷気味です。
 あとは、そうだな。荒唐無稽な設定でありながら、物語としてもドラマとしても粗を出さなかったのは、驚きでした。

 一時の快楽に溺れ酩酊状態のまま生きても、得られるものはつまりはそれだけ。

 性欲やそれに付随される欲求を満たすだけの生き方を、延々と、それこそ永遠に続ける。そんな生に、価値はあるのか。

 この問いを出しておきながら明確には答えを示さず、逆に

 しかし、たとえ真っ当に生きたとして、そちらの方にこそ価値があるというのか。問題は山積していて、いつも悩んでばかり。それでは辛いだけではないのか、気持ちが楽になる生き方を選んだ方が幸せと言えるのではないか。

 という問いも出す。

 これの答えを、本作は出さなかった。

 吸血鬼として反道徳的に生きること、真っ当な人間として道徳的に生きること、このどちらにもイエスとは言わなかった。
 確かにどのルートでも正エンドは「血を吸わずに生きていく」道を選びましたが、これは道徳的に生きる姿を示しているわけではなく、社会とかかわりを持ったまま生きることを選択したに過ぎず、敢えてどちらかに偏ることをよしとしたわけではない。

 示した答えは、作中で半端と揶揄される中庸の道。

 マインデッドブラッドは人間が自己を確立しようとする姿にこそ至上の価値を見出していたように思えましたね。
 「吸血鬼らしい生き方」や「(真っ当な)人間らしい生き方」などの定型に嵌まることをよしとせず、個々人が自分で自分の生き方を探すこと、探し続けること、そんな生にこそ人は価値を見い出せるのではないか、自分なりの意味を付けられるのではないか。

 そして幸福とはつまり、欲求が満たされた状態を指すのではなく、または勝ち取る様を指すのでもなく。
 自分らしく生きようと思える、そんな生き方を探そうと思える状態のことであると、本作は言っていたように思えます。

 人間とは不定の生き物で、個々人の“らしさ”その都度その都度で変わりゆくもの。
 だから、幸福とは安定や平穏を終着点にすることではない。まして、誰かを「自分の居場所」にしてしまうこと(パートナーや家族との共依存関係になること)でもないのだと。

 Vumpire Hunterエンドでは「他人ではなく自分を犠牲にした生き方を採れば(真っ当な)人間であると言えるのか」と言ったしずるが、過去への贖罪エンドでは逆にそれを行う。

 しかし、Vumpire Hunterエンドはお互いがお互いに依存し切って生きていくことを選んでいるため、何かの切欠で関係に不和が起きたり片方が喪われたとしたら容易に崩壊してしまう。何かひとつのものに至上の価値を置き、それに縋って生きていくのでは、それではこれまでと変わらない。
 この点過去の贖罪エンドは何よりも至上のパートナーが喪われたとしても、「それがなければ生きていけない」というほどではない。普通に生活する上で相手の体液がなければ終わってしまう、という危うさがなかったんですね。

 未来への旅立ちエンドは両者のいいとこ取りでした。
 しずると沙希の二人で人間と吸血鬼の共生(善と悪の両概念を人間は呑み込める、状況に応じて使い分けられるという姿)の“可能性”を描き、悠香をヒロインから「もう一人の主人公」に昇格させることで、依存関係に縋る生き方以外にも幸せは探せるという“可能性”を描くことにも成功していたのではないかと。

 テーマは表立って登場人物たちの間で禅問答させず、裏に込めるだけ。しっかりエンターテイメントしつつこれが出来てしまうのは凄い。

 いや面白かったです。個人的な苦言がまったく出てこない作品も珍しい。いつの間にか信者化していないか不安です。



■以下プレイ日記メモの残骸
 想定外のスピードでメインシナリオを消化してしまったので出番がなくなったんですが、勿体ないお化けが出てしまいそうなので一応ブログに載せておきますね。



 Hunting Timeと失われた過去。メロドラマとしては後者に軍配が上がりますが、若干カタルシスに欠けるんですよね。

 回想こそ挟まれますが、二人の歩いた道程をプレイヤーは知り得ない。本当のところで、“しずるの過去”を見てきたわけではない。

 だから没入し難い……というか、ドラマの説得力が薄く思えてしまうんですよね。二人がどのように想いを育んできたのか、「あなたのこと好きじゃない、これから好きになれる自信もない。それでもいいの?それでもいいなら……」から「ずっと私を離さないで」までに何があったんじゃ、と思っちゃうのは仕方ないよね。
 たぶん特別なことは何一つなく、漫然と、けれど大切に過ごしていたんだろうなーっとかは想像出来るんですが、いっちゃんオイシイところを描かずにいるなんて!!とかどうしても考えてしまう僕を誰が責められるのでしょうか(実際にコレをやると物語としてはともかくドラマとしては破綻しそうな気もしますがっ)

 別れの始まりルート。何やら痴話喧嘩が始まり、苦笑していたら異父姉妹でシーソーし出してビビった。麻由は、こういってはアレだけれど、おそらくゴア・スクリーミング・ショウのユカを以てして救われるキャラクターのような気がしていて、本作ではどうにもならないのだろうなという予感がありました。
 けれど、どうなるのかな。失われた過去ルート、というか。ほぼ全編に渡って描かれる彼女の痛切な姿、そして過去への贖罪ルートでの最期。これだけやったからには、作中で“救われる”かもしれません。彼女はどこまでも俗っぽく、情深く、人間臭い。たとえ父親が吸血鬼だとしても、佐伯老人が間違いを冒さなければあるいは……いや、妹の真奈が真性なので無理かな。

 とか書いていたら麻奈ともシーソーし出したよこの人。

 輸血箱に期待しとけってことなのかな。とはいえ、あちらはどうも、吸血鬼としての、“らしい生き方”を歩むしずるが描かれるらしく、しずる本人のらしさ、園原姉妹それぞれのらしさ、個性を以てして生きていく……というわけにはいかなさそう。とすれば、やはり本編中で……。

 いかん繁俊が単なるロリコンに見えてきた。