魍魎の匣 第4話「火車の事」雑感

 青木役に諏訪部順一さん。そう言えば先日、某『魍魎の匣』のオマージュ作がドラマCD化されていまして、主人公の声が諏訪部さんでしたっけか。ちょっとした縁を感じますね。

 とまー、関係のない話はさて置きまして。

 前回は状況が見え過ぎてしまうのも難点と書きましたが、ようやく事件が混迷の様相を呈してきたので、「む、いったいどうなっているんだ?」と視聴者を惑わせつつも、しっかりと“正しい筋道”が明確に描かれているという安心を強く感じられるようになってきました。

 なにより、加菜子の悪夢とも付かない独白のシーンはよかったですね。四肢は自由の象徴で、重い怪我を負った上に誘拐され、捕まっている。“自由”を失ってしまっている状態。

 これをうまく表すとともに、

「四肢がひとりでに動き出してどこかへ消えてしまい、代わりに機械の手足が取り付けられている」

 とすることで、事件前の彼女の状態を示唆していたようにも受け取られ。

 つまり、自由なようでいて決してそうではなかった。前回雨宮の発した「香菜ちゃんは学校で友達が出来なくてね。頼子ちゃんが友達になってくれてからはうれしそうだったよ」という台詞や、今回のこのシーン。

 頼子が加菜子に見た、「自由で気高い彼女」という姿が徐々におぼろげなものに。

 これは文章や言葉でベタに説明されるよりも、映像で感覚的に伝えてもらった方が臨場感が味わえますし、中二病的な妄想の昂揚感をビジュアル化することでより一層“少女”という存在の美しさ・儚さが映えます。

 また、これは原作と同じく、ではありますが、同時に誘拐事件とは別に連続バラバラ事件が起こっていることが明かされ、視聴者を混乱させようという意図が出てきたのもうれしい。

 本作は誰にも感情移入しなければ、誰かひとりの視点に自分の視点を合わせようとしなければ、誰かひとりの視点を根拠に推理しようとしなければ、自ずと答えの見えてくる作品。
 とはいえ、視聴者は「答え」を明示されるよりは事件やそれにまつわる人間関係に振り回されたいわけで。

 見え過ぎてしまう、分かり易過ぎてしまう、というのは“楽しくない”んですよね。

 僕の場合原作既読者なので、ビジュアルイメージで振り回してくれる本作の演出が気持ちいい、というのもあるのですが、それを差し引いても素敵な作品です。
 何より関口くんが可愛いし、中禅寺妹も出てきたしね!ところで薬師寺涼子は出て来ないn(ry