雑記とか その76「ラノベ脳の脅威!あるいは物語をゆっくり消化することの意味」

 今更ながらにまぶらほの短編集新刊とメイド新刊を読みました。気付けば本編・短編・外伝含めて20冊超のシリーズになっているのだよなー、なんて思ったりして。

 8年間も続いているということは、僕の人生の3分の1近くに関わっている、というわけで。しかも思春期~青年期というデリケートな時期。

 おそらく僕の人格に多大な影響を及ぼしているに違いありませんね!

 そう言えば、思い当たる節があります。

 僕は雑談などをする際に「ここは押していこう、その方が面白くなる」と感じたら詭弁・こじつけ何でも用いて極論をぶちまけるという困った性癖があるのですが、この辺りは作家・築地俊彦さんの影響なのでしょう。

 もちろん、僕が富士見ファンタジア界隈の作家さんに対して偏見の目を持ってしまったたのも、まぶらほシリーズのあとがき(主にメイドとか)を読んでしまったが故です。ひどい話だ。

 しかし、築地俊彦さんなんて僕にとっては未だにニューエイジ感が拭えません。

 “自己分析”を続けると、おそらくまだまだどこかで様々な作家さんの影響を受けている部分が多々あると思うんですよね。たとえば僕が愛だなんだと口はばったいことを繰り返して話すのはあかほりさとるの影響に違いないとか、小林めぐみの影響で趣味人としての厭味なインテリに萌えるようになってしまったとか、雑賀礼史の影響でヒーローだなんだをモニョモニョ言うようになっているとかとか、大いにありそうです(責任転嫁)。

 というわけで、ラノベなんて小学生に読ませるもんじゃないですね、という話でした(嘘

 ……本(というメディアに限らずともよいのですが)が、物語が、読者に強い影響を及ぼすとして、「○○なんて読ませるべきではない」という意見がまかり通るのは、非常に残念なことだなぁ、とか思っちゃったりして。

【「ボーイズラブ」は書庫に、堺市立図書館の5500冊】(asahi.com)

 あ、守られてた。よかったなー。

 何が良いものか、何が悪いものか。

 それは個々人で判断すべきことで、“誰か”が一括りにまとめたものが、世の中でまかり通るべきではないもの。

 それを吟味する、考えるには多様な情報・経験の蓄積が必要になってくるはず。
 何が“薬”になるのかを判断するには、“毒”も知らなければいけないんじゃないかな、っちうことで。

 ……本も漫画も映画もアニメも、ほとんどの場合“考える切欠”にしか過ぎなくて、どんな考えも、思いも、育てなければ形にならないもののはずで。育てる土壌を築くのは、“原因”の方かな、ということもふと考えたりしちゃったりするのよね。