とらドラ! 第8話「だれのため」雑感

 竜児を賭けての水泳勝負回。

 「この学校の体育の授業はどうなっているんだ」とか「あんな方法で居眠りしてもすぐバレるんじゃないか」とか「500チロル=10円×500っつーこと?」とか、そういうツッコミをして楽しむもよし。

 竜児の鈍感っぷりに共感を抱くも、反感を抱くもよし。

 「ヤキモチタイガー可愛いよね」とするも、「亜美ちゃん最高」とするも、「いや俺は断然みのりんだね」となるもよし。

 ただ、重要なのはキャラクターそれぞれの意識がどんな風になっているかを“想像”することにあって、それはつまり行動・言動を額面通りに受け取らずにいられるか、ということで。

 「竜児は私のものだ」にしたって、「お、これが大河の本音か。じゃあこいつ竜児のことが好きなのだな、ツンデレなのだな」としてしまうのは、あまりにも安易過ぎる。
 というのも、その台詞が出る前に「わたしにも自分の気持ちが分からない」と彼女自身が告白しているわけですし。

 恋愛感情というものは、誰かに対する好悪の感情は、人と人との付き合いは、ファーストインプレッションも大事ではありますが、“それ”だけでは済みませんよね。日々の触れ合いで絶えず変化していくもの。

 僕は徐々に育まれていく関係性の中で生ずる感情こそが、肝要なのだと思いますね。

 しかし、まー、その。「徐々に育まれる」ということは、「普通」「親しい」「好き」の境界線は曖昧なわけですよ。一度「好き」になれば、それ以下にはならないのかというと、そうではないですし。

 今回はそういった、“面倒臭い”エピソードだったんですよね。

 忘れてはならないのが、亜美の目的は誰かを揶揄することではなく、今回大河の胸中で行われたような自問自答を竜児と大河の二人にさせることで、それが済んだ後に、答えを出したあとにこそ、“始められる”ものに、期待を抱いていたが故のもので。

 というあたりかなー。

 あ、みのりんがモニョモニョしているのは彼女自身が混乱しているせいで、この時点で竜児に傾けていた気持ちは、必ずしも“好意”ではなかったんじゃないかなーと。その逆の方が、強いのでないかな。