『ハローサマー、グッドバイ』感想
どこかの惑星、そこに住んでいるヒトガタの知性体、(この世界には当たり前に存在している)不思議生物たち、独自の科学技術体系(とはいえ20世紀半ばぐらいの地球もどき)。
本作のこうした設定群を踏まえた上であらすじを書くと、
隣国との戦争が激化する中、官吏の息子であるドローヴは例年通り夏季休暇のために一家揃って港町へ行くことに。
そこでは彼の想い人であるブラウンアイズの他に、公営の産業に属するひとびと、港町のひとびと、彼ら同士の反目など、諸処の問題も待っていて……。
夏に始まり冬に終わる物語の中で、少年はどのように“変化”していくのか―――
な感じ。
帯の謳い文句を見ると、どうやらSF青春恋愛小説だったらしい。
ハローサマー、グッドバイ (河出文庫)
著者:マイクル・コーニイ
販売元:河出書房新社
発売日:2008-07-04
おすすめ度:
クチコミを見る
主人公・ドローヴくんの中二病的語り口が面映ゆくも心地よい。
読んでいると、思わず目を背けたくなるほどに居た堪れなくなるのだけれど、顔を真っ赤にしてベッドで両足をバタバタさせたくなるのだけれど、それでも尚、そんな彼を微笑ましく感じる気持ちも生まれてほとんど無条件に応援したくなる。
それもこれも僕がドローヴくんの心情を汲み取れるからこそ、強いノスタルジィを感じるからこそ。
いや、本当に本作は微妙な中二心理を衝いているのではないでしょうか。
本作は一人称小説であるので、当然読者は主人公・ドローヴくんの視点を借りるわけですよ。“世界”と触れるには彼というフィルターを通さざるを得ない。
つまり読者に伝えられる情報が、彼の呑み込んでいる事柄が、必ずしも事実と一致しているわけではない、ということ。
少なくとも、事実であるという保証があるわけではないのだ。
青春小説としては、これがよい。
物語が進むうちに、周囲の状況に対応するため、あるいは自分の意思を通すために、ドローヴくんは成長することを強いられ、そして確かに物語開始当初からどんどん彼は変化していく。
一人称小説であるから、幼い彼の視点では黒く見えていた事柄が、本当は白かったり、またその逆であったり、というドンデン返しを、彼の内部から覗ける。彼の“変化”をじっくり味わえる。
世界は形を変えていないけれど、彼の形が変わっていく。
これが劇的で、ドローヴくんの持っていた少年性とも言うべきものの喪失は切なくて苦いのだけれど、彼の獲得した“彼自身”はそれ相応に――彼とともにその“変化”を味わった身としては――とても誇らしく感じました。嬉しかった。
ドローヴくんの持っていた実に中二的な強い倫理意識。
これは最初、空虚な、中身のないものとして描かれる。
もっともらしい正論には、建前上ほとんど誰もが束縛されざるを得ない。
あの中二的な倫理意識というのは、自由な意識を欲している男の子が自分を束縛する全てのモノに対して抗うための武器なのだ。
しかしこの虚飾が、“実体を伴った良心”として成熟していく様を、本作は描いてくれた。
様々な出来事を経て、彼はひとの本音と建前の使い分けを知り、本音の部分で弱っている、追い詰められているひとを、労われるようになっていく。
そして、これがまた心憎いのだけれど、彼は成熟し切らない。
彼はそれほど強くもなれない、といった方が、正確か
別にこの物語が終わりに至ろうと、彼は全てを悟りきった仙人になるわけではない。出会うひと全ての痛みを受け止め、和らげてあげることが出来るようになるわけではないし、彼自身の傷もそう簡単に癒えやしない。
その証拠として、父への無理解がある。
当初、ドローヴにとって“理不尽な圧力”の象徴としてしか描かれていなかった彼の父・バート。
物語の進むうちに、彼が実のところは全身全霊で、自分が凡人でしかないことを自覚しながらも、そのみじめさと戦いながらも、必死で家族を守ろうとしていたことが分かってくる。
いや、ある程度以上賢明な読者は“そんなこと最初からわかっていた”ので、それが分かってくるのは、見えてくるのは、実は読者ではなくドローヴくんの方なのだ。
しかし、ドローヴくんは、分かっているはずなのに、自分に不器用な愛情を注いでくれる父の姿に理解の一片すら見せない。そればかりか、みじめに死んでいく父(正確には“父達”)を、嘲笑いまでした。
僕はあのくだりを読んで、「ああ、“綺麗”だったものが汚れたな」と強く感じた。
彼の自意識ははじめ、少年らしく自分勝手で、傲慢でさえあったけれど、“もっともらしい正論”を建前で済ませるのではなく、実践しようとしていた姿。自分の心にその倫理を守るよう課していたこと、空っぽだった“それ”に中身が伴ったこと。
彼はひたむきに、よりよく生きようとしていた。それはある種の美意識(かっこつけ)でしかないかもしれないけれど、人生哲学を構築しつつあった。
微笑ましくて、好ましくて、胸を打っていたもの。
あのくだりだけで、それが汚されたな、と感じた。
が、また一方でこれこそが人間の姿であるとも思う。そういった弱さ、醜さも、抱え続けなければいけないのが、おそらく人間なのだと。
少年の“変化”だけでも精緻に描かれており、それだけに留まらずひとの心に宿る美しさと醜さ、強さと弱さ、その両面が、本作には詰まっていた。加えて、筋の通ったストーリーライン。
最初から最後まで気持ちよく読めて、楽しかった。
いや、毒婦とか悪女とかビッチとかそういう言葉のよく似合うヒロイン・ブラウンアイズが素晴らしい、とかそういうことはどこかに置いておく。
本作のこうした設定群を踏まえた上であらすじを書くと、
隣国との戦争が激化する中、官吏の息子であるドローヴは例年通り夏季休暇のために一家揃って港町へ行くことに。
そこでは彼の想い人であるブラウンアイズの他に、公営の産業に属するひとびと、港町のひとびと、彼ら同士の反目など、諸処の問題も待っていて……。
夏に始まり冬に終わる物語の中で、少年はどのように“変化”していくのか―――
な感じ。
帯の謳い文句を見ると、どうやらSF青春恋愛小説だったらしい。
ハローサマー、グッドバイ (河出文庫)
著者:マイクル・コーニイ
販売元:河出書房新社
発売日:2008-07-04
おすすめ度:
クチコミを見る
主人公・ドローヴくんの中二病的語り口が面映ゆくも心地よい。
読んでいると、思わず目を背けたくなるほどに居た堪れなくなるのだけれど、顔を真っ赤にしてベッドで両足をバタバタさせたくなるのだけれど、それでも尚、そんな彼を微笑ましく感じる気持ちも生まれてほとんど無条件に応援したくなる。
それもこれも僕がドローヴくんの心情を汲み取れるからこそ、強いノスタルジィを感じるからこそ。
いや、本当に本作は微妙な中二心理を衝いているのではないでしょうか。
本作は一人称小説であるので、当然読者は主人公・ドローヴくんの視点を借りるわけですよ。“世界”と触れるには彼というフィルターを通さざるを得ない。
つまり読者に伝えられる情報が、彼の呑み込んでいる事柄が、必ずしも事実と一致しているわけではない、ということ。
少なくとも、事実であるという保証があるわけではないのだ。
青春小説としては、これがよい。
物語が進むうちに、周囲の状況に対応するため、あるいは自分の意思を通すために、ドローヴくんは成長することを強いられ、そして確かに物語開始当初からどんどん彼は変化していく。
一人称小説であるから、幼い彼の視点では黒く見えていた事柄が、本当は白かったり、またその逆であったり、というドンデン返しを、彼の内部から覗ける。彼の“変化”をじっくり味わえる。
世界は形を変えていないけれど、彼の形が変わっていく。
これが劇的で、ドローヴくんの持っていた少年性とも言うべきものの喪失は切なくて苦いのだけれど、彼の獲得した“彼自身”はそれ相応に――彼とともにその“変化”を味わった身としては――とても誇らしく感じました。嬉しかった。
ドローヴくんの持っていた
これは最初、空虚な、中身のないものとして描かれる。
もっともらしい正論には、建前上ほとんど誰もが束縛されざるを得ない。
あの
しかしこの虚飾が、“実体を伴った良心”として成熟していく様を、本作は描いてくれた。
様々な出来事を経て、彼はひとの本音と建前の使い分けを知り、本音の部分で弱っている、追い詰められているひとを、労われるようになっていく。
そして、これがまた心憎いのだけれど、彼は成熟し切らない。
彼はそれほど強くもなれない、といった方が、正確か
別にこの物語が終わりに至ろうと、彼は全てを悟りきった仙人になるわけではない。出会うひと全ての痛みを受け止め、和らげてあげることが出来るようになるわけではないし、彼自身の傷もそう簡単に癒えやしない。
その証拠として、父への無理解がある。
当初、ドローヴにとって“理不尽な圧力”の象徴としてしか描かれていなかった彼の父・バート。
物語の進むうちに、彼が実のところは全身全霊で、自分が凡人でしかないことを自覚しながらも、そのみじめさと戦いながらも、必死で家族を守ろうとしていたことが分かってくる。
いや、ある程度以上賢明な読者は“そんなこと最初からわかっていた”ので、それが分かってくるのは、見えてくるのは、実は読者ではなくドローヴくんの方なのだ。
しかし、ドローヴくんは、分かっているはずなのに、自分に不器用な愛情を注いでくれる父の姿に理解の一片すら見せない。そればかりか、みじめに死んでいく父(正確には“父達”)を、嘲笑いまでした。
僕はあのくだりを読んで、「ああ、“綺麗”だったものが汚れたな」と強く感じた。
彼の自意識ははじめ、少年らしく自分勝手で、傲慢でさえあったけれど、“もっともらしい正論”を建前で済ませるのではなく、実践しようとしていた姿。自分の心にその倫理を守るよう課していたこと、空っぽだった“それ”に中身が伴ったこと。
彼はひたむきに、よりよく生きようとしていた。それはある種の美意識(かっこつけ)でしかないかもしれないけれど、人生哲学を構築しつつあった。
微笑ましくて、好ましくて、胸を打っていたもの。
あのくだりだけで、それが汚されたな、と感じた。
が、また一方でこれこそが人間の姿であるとも思う。そういった弱さ、醜さも、抱え続けなければいけないのが、おそらく人間なのだと。
少年の“変化”だけでも精緻に描かれており、それだけに留まらずひとの心に宿る美しさと醜さ、強さと弱さ、その両面が、本作には詰まっていた。加えて、筋の通ったストーリーライン。
最初から最後まで気持ちよく読めて、楽しかった。