「言葉」の難しさ


また詰まらないことを書いてます。なんと言うか、自分が例に挙げた方々が不快に思われないことを願いつつ、すみませんでしたorz
と、いきなり謝ってみます(´・ω・`)
 最近、お気に入りのブログさんを読んでいたら面白いサイトさんを発見した。
CASPAR003さんの運営する>>Deltaさんだ。CASPAR003さんも中谷さんhalogenさんと同じく、論理的に文を展開させるタイプ…つまり理系だ。このタイプに属する方の文章は非常に平易で誰にでも理解し易い。
勿論、妙ちくりんな専門用語の並ぶ「論文」は例外だが、それ以外では本当に読みやすい。文系畑の人間と違って小難しい文語表現や抽象表現を用いることが少ないためだ。論理が飛躍することもあまりない〈ちなみにまぬけづらはよく“飛んだ”文を書いている〉。

 文章だけでコミュニケーションを取る際、有利なのは文系だと思われがちだが実際は理系の方が有利なのだ。何故なら彼らは論理を重んじるから。

と、思っていたのだが……。

参考記事
>>Delta「批判は誰に聞いて欲しいのか」
>>Delta【主張】コメントを書くときは



 CASPAR003さんの立ち位置として、コンテンツとしてネット上に公開する文章とは〈発信者の〉意見表明であり意思表明と考えているのではなかろうか。
「これはこれで完結して完成されているのだから、ケチを付けるのなら自分のところで書いて目立たないようにTBを送信するべきだ。公開している以上、その文章は公共性を帯びているのであり他人のブログ〈ないしサイト〉でそれを行うべきではない」
ということ?「これはこれで完結して完成されているのだから」ここまでは合っていると思うけれど、その後の文には自信がない〈汗〉

 halogenさんは恐らく、記事をトピックとして扱っているのだと思う。
記事自体に勿論「自分の意見」も書くが、読者〈訪問者〉にそれを読んでもらうのがメインなのではなく、それを読んだ読者との意見交換がしたいのではないだろうか?
自分の中で確固とした「意見」はあるけれど、それが「絶対の答え」ではないと思っているからそこに近づけるために議論を必要としている、のかなと。
つまりはウィキペディアに於けるノート的扱い。

これが二人の認識の違いなんだろうなぁ、と思う。これで済ませればいいのに、論争は続く。

最初にCASPAR003さんが行ったのは個人批判ではなく、考え方に対する批判であると思う。
「近所の家の門に張り紙が張られていた。どうもその家は在日朝鮮人が住んでいるらしく、そのことについて口汚く罵った内容である様だ。……彼らは何故こうした行動を取るのだろう?もしも本当に嫌悪に堪えかねているのなら、直接言えばいいものを」
といったことを言っている、はず?
〈全然関係ない喩えを用いて、更にこの喩えだと「彼ら」の位置にいるのは「halogenさん」になってしまい、非常に誤解を与えかねないが分かり易く強調して書くとこうなる〉
この「直接」の手段とは、たとえばこの喩え話で言うと家に「在日は追い出せ!」と書かれた看板を掲げるといったこと。上の様な個人攻撃ではなく「総体」に対して批判を行え、ということ?
〈勿論、halogenさんが行ったのは決して攻撃などではない。ではないが、敢えて分かり易く、誇張して書いた。これにより文意がずれてしまっている気もして不安〉

対してhalogenさん。
CASPAR003さんは例に挙げただけでhalogenさんを指差して「この人は違うと思う」と言っていると思っている節がある。本当は「こういう人って違うと思うんだよね」なのに。年配の方が二言目には言いたがる「最近の若者は~」的なこと言っているのに、直接自分についての批判だと。

「ブログ観〈ネット観〉」だけでなく、ここでも認識の違いが出ているのだ。

微妙なところで噛み合っていないから、両者がなんとなく不完全燃焼気味になっているように見えてしまう。

注〉「CASPAR003さんは確かに総体として批判を行っているのかもしれないが、halogenさんもそこに含まれているのだから議論は成り立つのでは?」<コメント欄でのやり取りを見るに、halogenさんは「自分の行動に対する批判」よりも「〈自分のブログとは〉遠く離れた場所で批判すると言う方こそマナー違反」と言っているように見える。要は陰口を叩いている様に感じてる?

 恐らく、両者はどこかで「あ、あれ?噛み合っていない様な気が……」と思ってはいるのだがその理由を「ああ、立ち位置〈価値観、ブログ観〉が違うからか」だと考えているのだ。
本当は文意解釈自体が微妙にずれている〈様にまぬけづらには見える〉のに、その「ずれ」の理由を誤解してしまっているのでお互いがなんだかスッキリしない。両者ともが「自分の価値観を押し付けるのはよくないと思うけど……」という気持ちを持っているのも理由の一つかもしれない。


「解釈」によって微妙に意味が違ってくる日本語。いや、きっと日本語に限らず言語自体が持っている欠点の一つなんだろうなぁ。

前に書いたこととカブっていそうで、実は更に踏み込んだ「言葉」の欠点。前回は主に「単語としての欠点」で今回は「文章としての欠点」のつもり。
単語としての欠点は回避出来ないけれど、文章としての欠点はどうにかなる部分もあるのが幸いか。〈何度も読んで、初見の時とは違った解釈を探す〉


議論をしていると食い違いが出てくることもしばしばある。その場合、「どの点が自分と違っているのか」を書き出せば善処出来るけれど、単純に「価値観が違うからかみ合わない」と思ってしまったらどうにもなりませんよー。と、同じことを繰り返して言ってしまいましたがこれは「もしかしたら伝わっていないのかもしれない」という不安の下に書いています。まぬけづらってあんまり文章力がないのでw