今日の雑記@08年1月14日分「アニメ観てねぇ」

 昨日はレンタルマギカを視聴している途中で寝こけてしまって「疲れているんだなぁ」と実感。や、まあ大したことはしていないはずなんですけどねぇ。

【ちょっとしたお知らせ】(るるティー)
 4月からは新社会人となるため3月末くらいに一時休止とのことらしいです。ここ一年くらいのるるティーさんは声優ネタが本当に豊富で半分アイドル追っ掛けブログと化していましたが、そんなことよりもいちいち面白いことを書こう書こうとしている姿勢が何より好きでした。

 今まで本当にお疲れ様でした^^

【私は明日死ぬということの意味性というか】(隠れ蓑~penseur~)
 引用されているリンク先の答えは「おいしいご飯を食べること」「気持ちよく眠ること」「あったかいお風呂に入ること」のどれかを生きる理由にすればいいんじゃないの、としか言えませんが、ここでは麦さんによる内省の方に触れようかと。

 意味を求めるのであれば、それは誰かから与えられるものではなく自分自身で作らないといけないんじゃないのかな。作った意味を貫けるかどうかは別としても。
 生きることの意味はまあこれでいいとして、死ぬ意味。これは難しい。それこそそんな疑問は無視するしかない。まぬけづらも小中学生くらいの頃はそんな疑問を持っていたけれど、今は本気で意味がなくともいいと思っているクチ。解消されることはない疑問というのは幾らでも湧いて来て、それ全てに対して対処するのは難しい。答えのあるものだけを解いていって、残りは疑問を持ったことだけを覚えていればいいかなと。でないと身体がいくつあっても足りないんじゃないかな。まあ、つまりはどこかで思考停止している、ということなのかもしれませんけどねっ!!

【ダ・カーポの三角関係はあれはあれで美しいものでないかな】(隠れ蓑~penseur~)

 D.C.についてこれだけ話せる人が身近にいないまぬけづらとしまして、ガチで話し合いたいかもしれません。
 そう。そして、だからこそD.C.Ⅱ(原作ゲームの方ね)は糞ったれなんですよ。旧スタッフが作ならまだしも、新スタッフであれはないやんか、ああでも分かるかも、みたいになってしまう。

 ちなみに無重力下放送は未だ聴いていません。

 はてさてゲーム版はさて置いて、アニメ版に於いてのラストを考える。まぬけづらはあのクライマックスでの純一の「俺はさくらが好きだよ」には憤慨せざるを得ませんが、さくらはどうだったのか。あの好きだよは恋慕の感情ではなく、親愛の情を示したもので、さくらはそれを受け入れた。本当は親愛だけじゃ足りないけれど、それだけで納得しようとした。それは納得“しようとした”だけであって、納得したわけじゃないよね、というのはそりゃまあ分かる。大体それってこれまでの状況と変わらないじゃないか(さくらは初音島においては神様同然で少し不快に感じただけでそれを枯れない桜が“願い”と受け取り、さくらの自覚とは別に音夢が消えてしまうのだけれども、さくら自身は音夢のことも好きだから消えないで欲しいという願いを枯れない桜が叶えた結果が終盤の音夢の病状とも取れるので)、という問いには「枯れない桜を枯らせることが祖母の否定に繋がるわけではないことに気付いたから」と「今の純一が好きだから」という答えを出したいんですが、どうでしょうか。
 どうしても原作ゲームの話になりますが、原作さくらルートにおいて彼女が何より恐れたのは「枯れない桜が勝手に自分自身の願いを叶えて、純一がさくらに好意を持つように仕向けないか」ということでした。やっぱりアニメ版でもそういった想いは持っていたと思うし、その極致は枯れない桜を枯らしてしまうこと。クライマックスまで何度試しても枯れなかった理由は、その行為が祖母の否定に繋がってしまうが故。祖母の目指した「優しい世界」の否定は積極的にはしたくないことでしょうし、枯れない桜が、半ば二人の祖母の分身だったことも大きいのではないかなと。プレイヤー側は純一が枯れない桜と対話する場面(冒頭と、ラストのおまけエピソードのことだけでなく、過去の夢、あるいは助言もしてくれていましたよね)しか見えませんが、恐らくさくらも対話していたんでしょう。だから彼女は枯れない桜に対して何度も語りかけていた(会話内容の全貌は見えませんでしたが)。
 で、彼女は純一の姿に祖母を見たんでしょう。面倒臭がりで文句ばかりで、でも最後には力を貸してくれて何でも解決してくれる祖母。それこそが、祖母に続く純一の姿こそがD.C.。祖母はもういないけれど、新しく純一が祖母と同じくみんなを支えてくれている。枯れない桜という不自然な写し身はもういらなくて、きちんと継いでくれているんだよ、と。

 とかいちいちまぬけづらが解説するのもアレなことなのではありますが。

 ただ、思う。彼女の人生とは自分を偽ることに終始していて(何重にも“自分自身を”欺瞞する努力をしなければ、次々に他人を消していってしまうことを恐れて)、実は純一にさえも素直に好意をぶつけていたわけではなくて。
 それは寂しいことだよね、とか。思っちゃう。それを完璧にこなして見せてくれたのが杉並ですけど、やっぱり寂しいよなと。
 D.C.Ⅱで思うのは「音夢死んでるんだからさくらと再婚してもいいじゃないか!」という信者とかファン的なことと、「爺さん婆さんになっても今のような関係のまま、二人でまったりお茶とか飲めているといいね(恋仲でなくとも)」というさくらノーマルエンドの否定かいな(さくらと純一がまったりしているシーンのひとつぐらい見せてくれてもいいじゃないか。再婚していなくとも仲良くしていたっていいじゃないか)というやっぱり信者的なことかな。

 ああ、くそ。時間がないので今日はこの辺で。続きは無重力下放送を聞いたあとに書きます。たぶん。

【お知らせ『これから始まるラジオ』】(まきいづみブログ)
 まきさんと茶谷さんのお二人で新ラジオとのことですが、いっぴきさんや中の人は勘定に入っていないんですn(ry
 いやはやしかし、皆さん人気声優さんですものね。仕方ないのかな。その日まで楽しみに待っていますよ!