もしかしたら

 D.C.F.S.すらファンにとっては地雷なのかも知れません。最近ではそう思うように、いえそう思えるようになりました。

大体、甘々の後日談的内容なら『続編』ではなく『ファンディスク』でなければならないと思いますし。

S.S.の不満点をもうちょい書くか。まぬけづらは、ある意味では『さくらではなく、純一こそが祖母ちゃんの正当な後継者』だと思っていました。『正統』なのはさくらとしても、『正当』なのは純一なのだと。

面倒臭がりで、でも人からの頼まれごとも本当は大して嫌じゃなくて……と言うよりも、困っている人を放っとけなくて。でもその際の『助け』は大仰なモノではなく、その人の背中をちょっと押してあげる程度。

祖母ちゃん(枯れない桜の残俟)が純一をピーターパンに喩えたのも良いと思っています。「大人になり切れない」=「全てを割り切って考えることが出来ず、根っ子が青いまんま」純真な心を忘れていない、というので良いのかも。
そして、何よりもピーターパンの重要なキーワード・『大人になると皆忘れてしまう』なんですかね。

純一から『かったるい』を取っ払っちゃったらさ、『そういうの(上の文ね)』が無為になるんじゃないのかな。

えっと、前作ではさくらがちっこいまんまだった理由は『6年前の姿でいることで、純一に再会した時すぐに分かってもらえるように』というのが一つ。そして『「子供」でいることで、「子供」という自分を演じることで、「自分」を抑えていた』ってやつですよね。……確か、枯れない桜の魔法で。

うんと、来週は制服姿のさくらに欲情するかも。と言うか予告台詞そのものに欲情した。