今日の雑記@08年4月16日分「眠い」

>>男(中村悠一)のバージョンは正直いらね。
 うお、うちとはまったく逆の発想過ぎるwwwww
 僕はむしろゆかなverの方が余計かなって思ってしまっています……。や、ゆかなさん大好きなんですけどねぇ。

【VOICE CREW 19代目パーソナリティ卒業】(ANIME FAN)
 (*´д`*)
 (´・ω・`)

【「綾小路 咲夜」役 水橋 かおりさんキャストインタビュー】(エッジレコーズ)
 このCD、サブタイが「ぎゃーーーっ!」なんですね、凄いや!!

 この企画のプロデューサーさん自体がある種のヤンデレ気質だと思うんだ。

【ライバル出現】(COLOR)
 文面からヤンデレ臭。クライシス周りは怖いのな!(違

 石塚さよりさんはもっと使われるべきだと思うのです。いや本気で。

【気付いてくれたよね?】(下屋則子 Official BLOG ~のりのり♪Diary~)
 土屋さんは偉大。記事題からヤンデレ臭。

 や、僕何かはもちろん気付いていましたけどね!!

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【考えるのにつかれたからまとまりはないよ】(あにたむ亭)
 うーん。むにゅさんと僕とでは「ぽてまよ」の読み取りに齟齬がありますね。どちらかが正しいとも言えないことなので、「それはそれでアリだよね」としか言えないのですが!!

 ぐちゅがとまりに見ているのは“友”で、こちらの方が他者と関わり合う喜びをくれていたと思う。とまりの持つ規範というのは習俗的な慣例としてのものなんですね。彼女は自分が振りかざすルールが持っている意味を理解しているわけではない。その効果を知っているだけで。京ちゃんは細かい規範に頓着はしないけれど、それは彼女にそんな規範が必要ないだけ。人の物を勝手に持って行かないのはそれが“悪いこと”だからではない。自分がそれをされたら悲しいし、悲しがっている人・不幸な人を見るとそれだけで自分が辛くなるから。彼女が誰かに手を差し伸べるのはそれが“善いこと”だからではなくて、自分がそれをされたら嬉しいし、誰かに喜ばれること・誰かの笑顔を見ることで自分が幸せになれるから。
 道理を教えていたのは、やはり京ちゃんでしょう。ぐちゅが切り裂いたものをガムテープで直すのは規範に沿っているだけ。壊れたものの痛みに共感してとか、自分が壊したものがなければ困る人がいるから、ではない。規範にのっとっているだけ。とまりというのは切磋琢磨して共に成長出来得る友であり、関わり合う喜び、というのはこちらから得られる。京ちゃんは無限母性の人だから、こちらからは喜びよりも安らぎを得ている。ぐちゅ玉にはあるのは、優しさ。喜びというのは、自分で狩った獲物を食しても得られる。飢えが満たされると自然に生まれ出る。でも安らぎはそうではない。安心感や幸福感は、そうではない。

 と、長くなるので割愛。京ちゃんは気まぐれな人でもないと思いますが、これも割愛。ねね様がむったんに甘えているというのは分かりますが、あれってそれだけではなくむったんに心の自由を与えているのだと思います。とめどない激情に行き場を与えてガス抜きさせてあげている。

 もうこれ以上は時間が取れないので明日以降に書きますね!