とらドラ! 第9話「海にいこうと君は」の感想文です

 この一連の旅行回の肝、というか。“お当番ヒロイン”はやっぱりみのりんであることに、違いはなくて。

 次回の10話が終わってみれば大河とみのりんの関係性も結構分かってくるんじゃないかなって思いますね

 “幽霊”だけでなく見えないものは多いよね、ということで。

 以下原作ネタバレ感想。9話だけに。原作9巻まで読んでいる方のみの閲覧を推奨(とか言っても微妙にボカしますけどね!)

高須竜児
 「幽霊を見たいと思っているのかもしれない」発言をしてしまうということは、つまり自分でも自分の気持ちを把握していないということで、もっと言っちゃえば「恋に恋しているという状態なのかもしれない」と、言っているわけで。

 やっぱり竜ちゃんは故意犯だよなー、と思います。演じるのが楽しいから、そう振舞っていると気分がよいから、彼は行動している節が。
 それが悪いとは言わなくて、逆にその方が魅力が増すように感じるんですけどね~。実に乙女ちっくでよろしいと思いますよっ。

 しかし、彼には葛藤がない。自己嫌悪がない。

 根性論を讃美するわけじゃないけど、僕は苦しんでいる人が、戦っている人が好きだな。

 そんなの出来ないと言い放ったのが、9巻だと僕なんかは思っちゃうんですよねぇ。ところで、苦しみもがいている人に「お前がまぶしい」とか言ってしまう子って最低よね。

北村祐作
 今更ながら、彼の立ち位置を理解出来たような気がします。

 そっか生徒会を放ってこっちに来ているんだった、そうだった。その意味をあんまり深く考えて来なかったんですが、結構面白いかも。

 ここまで似せて、というか。被せてくるのかー。

 振る舞いが誰かさんと似通っている。も少し先の展開になるか、あるいはアニメでは描かれないのかもですが、行き着き先も似通っている。

 この重複表現は意味がないのか、強調なのか、それとも対比なのかってところですが、はてさて。
 原作最新刊では「対比ではないよ」とされたかのようにも見受けられましたが、結局どうなるのかはまだ分かってないし、そもそもアニメは別の展開を用意している可能性もありますし。

 や、楽しみです。

逢坂大河
 バドミントンの勝負、というのは。

 これは敢えて負けたのかな、という気が。いや、狙ったわけではなく。

 大河は北村に向けてアクションを起こすのが怖い、というのはあると思うが。これは「実は本気で好きなわけじゃないよね」とかってことではなくて。
 たまに忘れそうになってしまいますが、少なくとも彼女は北村に一度フラれて、告白を避わされているんですよね。

 そりゃ、「恥ずかしくて動けなくなる」とか以前に“怖い”、という感情が生まれる方が自然だよな、と僕は感じちゃうかな。……そもそも、彼女は北村に何も求めていない(本当のところ“誰にも”何かを求めていない、期待していない、とするのが正しい)、だからというのは、この時点ではたぶんうっちゃってていい要素。

 自分からは離れられないから竜児の方が先に誰かとくっついちゃえばいいという気持ちが、意識的にではないにせよ、あったんじゃないかなー。それが意識的になるのは、もっともっと先だとしても。

櫛枝実乃梨
 今回観てやっぱり強く感じたのは、本作で一番救われるべきはやっぱり彼女だよなー、ということ。

 素直になることも、大事だよね。

 彼女は幽霊そのものになろうとしていて、それってつまり人間辞めちゃう、死んでしまう、ということであるわけですし。

 幽霊が見えないなら見えないで、それはそれで別にいいのだから。

川嶋亜美
 いつもいつでも貧乏くじお疲れさま、としか。

 もっとも救われるべきはみのりんでも、報われるべきは彼女かな、とも思う。これは彼女自身が「自分は報われるべき(自分の行動は正しいのだから、そのように事態は運ばれるべき)」とは、考えていないからこそ。

感想
 アイドルにキャーキャー言ってしまう心理と、普通に恋人と接する心理って別物だと思うんですよ。

 誰かと接するときに相手の見えない部分を想像で補うというのは当然であると思うんですよ。
 これは恋愛だなんだだけでなく普通のことで、接していくたびに相手のことが徐々に見えて来て、それまで想像だった部分と入れ替えていく、という行為を互いに繰り返して分かり合っていく。

 これが誰かとの繋がりを作り、強めていく、という基本でしょう。

 でまー、アイドルは普通傍にいないんですよ。必然想像で補う部分が多くなってしまうのに、“よりよく見せるために修正された情報”しか与えられない。情報を受け取った側の想像がどんどん都合よくなっていくのも、不自然ではないかなって思いますね。

 竜児はもっともっとみのりんとこそ一緒にいればよかったのに。あれだけ傍にいる大河でさえ、彼には分からないことだらけなのだから。

 そして何より感じるのは、幽霊を見ようとしても人間は見えない、ということ。

 人はたとえば枯れ尾花に幽霊を見てしまうわけで、それってつまり虚像であるわけで。虚像を見ようとしても、どうしようもないよ。だってそれは幻で、自己の投影でしかないと、僕は思うから。

 浅瀬に浮かぶワカメが幽霊に見えてしまう。実像を捉えないことを、恋と呼んでも、愛とは呼ばないんじゃないかな。