とらドラ! 第4話「あのときの顔」雑感

 バケツプリン、「実は昔告白してフラれてたよ」バレ、などなど。原作とは情報の出し所が違ったり、そもそも描写自体が大きくアレンジされていたり。

 ただ、これはまったく“改悪”ではなく、うまい構成だったのではないかと思いますね。単なる圧縮とか、切り貼りとかではなく、しっかり原作を読み込んだ上で、原作とは違った構成を練って、その上で原作のエピソードを被せている、ということなのでしょう。

 大胆なアレンジではありますが、無茶苦茶繊細に原作ファンに気を遣っているのがありありと伺えます。いや、そんなに気にしなくていいのよ、まじでまじで。

 媚びないのが大河の魅力であると、僕なんかは思うので、可愛らしい面が見えちゃうこと自体がちょっとあれれ。それは竜児の独り善がりの視線によってのみ、つまりはさ、前話で大河が「そういうの、キモいよ」と言った視線でのみ、見えればいいのになぁ、とも感じたりして。

 とはいえ、「そもそもキャラが違っている」とした方がいいのでしょう。お話の展開が違えば、それによってキャラクターの変化(通り良く言うのであれば成長と言い換えても可)の仕方も違ってくる。

 ぐむむむ。

 いや、意図は分かる。「あいつ最近柔らかくね?」を原作よりも違和感なくor原作よりも早い段階でやっておきたいのでしょう。分かるんですけれどね。

 だから、そもそもアニメ化なんてしなければいいし、アニメ化しても観なければいい。原作通りをやられても苦言しか出てこないのだから(や、それでいい人はいいんでしょう)
 心の揺らぎ、というのが見事に描かれていまして、これはよかったかな。

 大河が写真選びで迷って、竜児の当たり散らしたのは完全に八当たりで、「どうしようもないなまったく」で済ませてよくて、事情が分かったうえで「苦しみ」を分かち合おうとする竜児の姿も、「どうしようもないなまったく」で、本当はいいんですよ。だって痛みも苦しみもその人のもので、本当のところ、“分かち合う”ことは無理なわけで。でも「痛み」を同じように受け止めることは出来なくても、「痛みを感じている」ことは分かるわけで。だから、妄想で分かったフリをせずに、傍にいてあげればいいし、痛みを和らげる手段があるのなら、それを選べばいいし。

 でも大事なのは「痛みを感じているアイツを見ているのが辛いから、どうにかしよう」っていう自分の気持ちを美化するのでなく、もっと踏み込んで考えて、本当のところ「痛みを感じているアイツを見ているのが辛いから、自分の辛さを解消するために、どうにかしよう」となっていることを、自覚すること。

 それを、アニメ版ではやってくれるような流れが出来ているんでないかなと。というのも、竜児の、あの、ねっとり密着感が薄まっているから。
 これは、「実は過去に北村から告白されていた」をここまで引っ張ったこと、第2話で電柱のシーンその他「二人の関係の過剰な強まり」を削ったことが、大きく関係しているんでないかな。

 青春の輝きが、見られそうです。

 ところでスピンオフはスルーするんでしょうし、せっかく会長が出て来ても北村の掘り下げはあんまり期待しない方がいいのかな。原作でも既に放置されている節もありますし、どうなるのかなー。