とらドラ! 第7話「プールびらき」雑感
さて、プール回。
巷では大河の百面相が大流行しているようではありますが、ここで僕は敢えて独神の方が可愛かったよねと主張しておきましょうか。
しっかり教育者としての責務を果たしつつも、隠せない“若さ”への嫉妬。生徒の何気ない会話にもいちいち妄執じみたやっかみをかます姿は実にたおやかでした(阿呆
亜美は能動的に、竜児と大河に接していて、ということはそこには何らかの意志が介在しているというわけで。
大河のような不器用が過ぎる女の子が“普通”に振舞えている羨みが、そしてそんな彼女を受け容れている竜児への甘えが前面に押し出されていたように、僕には見えました(!)。
独神の嫉妬にはこういう意味があったことですね!
ゆり先生と亜美が違うのは、羨みを抑えなかったという点。ま、確かにこれを直截に言えば“甘え”で間違いではないんですが、「抑える」ことなく、つまり仮面をかぶることなく、素直に接していただけとも言えて。
そして、素直に接する、というのは。自分の中にある種の欲望に忠実になる、目を向ける、ということでもあるんですよね。
その結果、亜美以外の人も、“それ”に目を向けざるを得なくなった、というのが今回、とも言えるでしょう。
つまり、性意識の自覚。竜児は、大河の身体に“女”を感じて、目を背けた。
これまでを振り返ると、彼は恋愛をファンタジーとして見ていて、生臭いものとしては見ていなかった節がありました。それは大河に「妄想も大概にした方がいいよ、キモいから(まぬけづら意訳)」と言われてしまったように。土蔵の一幕でようやくみのりんの表面しか見ていなかったことに気付いたように(相手の一面だけを切り取って、そこから想像を膨らませて、「好きだ」としていた。恋愛は、というかコミュニケーションはその双方向性がないと独り善がりが過ぎて、行き過ぎると単なる妄想の一人遊びにしかならない)。
彼にとって女性は女性ではなく、そして女性と接する自分も男性ではなかった。
これはもちろん徐々に覆されていく必要があって、そのきっかけが今回垣間見えたわけですよ。
ようやく、“恋愛”に行き当たる準備が終わりつつあります。原作もまだ終わっていない作品ですし、どのような展開になるのか楽しみですね。
巷では大河の百面相が大流行しているようではありますが、ここで僕は敢えて独神の方が可愛かったよねと主張しておきましょうか。
しっかり教育者としての責務を果たしつつも、隠せない“若さ”への嫉妬。生徒の何気ない会話にもいちいち妄執じみたやっかみをかます姿は実にたおやかでした(阿呆
亜美は能動的に、竜児と大河に接していて、ということはそこには何らかの意志が介在しているというわけで。
大河のような不器用が過ぎる女の子が“普通”に振舞えている羨みが、そしてそんな彼女を受け容れている竜児への甘えが前面に押し出されていたように、僕には見えました(!)。
独神の嫉妬にはこういう意味があったことですね!
ゆり先生と亜美が違うのは、羨みを抑えなかったという点。ま、確かにこれを直截に言えば“甘え”で間違いではないんですが、「抑える」ことなく、つまり仮面をかぶることなく、素直に接していただけとも言えて。
そして、素直に接する、というのは。自分の中にある種の欲望に忠実になる、目を向ける、ということでもあるんですよね。
その結果、亜美以外の人も、“それ”に目を向けざるを得なくなった、というのが今回、とも言えるでしょう。
つまり、性意識の自覚。竜児は、大河の身体に“女”を感じて、目を背けた。
これまでを振り返ると、彼は恋愛をファンタジーとして見ていて、生臭いものとしては見ていなかった節がありました。それは大河に「妄想も大概にした方がいいよ、キモいから(まぬけづら意訳)」と言われてしまったように。土蔵の一幕でようやくみのりんの表面しか見ていなかったことに気付いたように(相手の一面だけを切り取って、そこから想像を膨らませて、「好きだ」としていた。恋愛は、というかコミュニケーションはその双方向性がないと独り善がりが過ぎて、行き過ぎると単なる妄想の一人遊びにしかならない)。
彼にとって女性は女性ではなく、そして女性と接する自分も男性ではなかった。
これはもちろん徐々に覆されていく必要があって、そのきっかけが今回垣間見えたわけですよ。
ようやく、“恋愛”に行き当たる準備が終わりつつあります。原作もまだ終わっていない作品ですし、どのような展開になるのか楽しみですね。