とらドラ! 第19話「聖夜祭」雑感

 おや、クマさんでしたっけか。何か前回トナカイとか書いたブロガーがいた覚えがありますが、それはきっと気のせいでしょう(ぇ

 結局、今回までの流れは原作と同じ。しかし見え方は、より鮮やか。

 別に原作を曇った目で眺めていたわけではないと、自分では考えていましたが、しかし、どうかな。アニメ版を視聴すると、改めて見えてくること、浮び上ってくることも、あるように思います。

 竜児が大河を、彼女と育んできた関係性を、諸々を大切にしていたのは確かではあるんですが、それでも「対等であろうとした」というのはどうかな。

 たとえば殴られたら殴り返せばいいのに、それをしなかった。たとえば家事の一切合財を引き受け、“面倒を看て”いる。たとえば彼女の抱える様々な問題に対処しようと試みていて、それは恋愛事に限らなくて、当然ながら最初に決めた約束事に反していた。犬と呼ばれて、「いや俺は竜だ、お前と対等だ」とは、返さなかった。

 これらは確かに彼の寛容の、優しさの表れではある。けれど、また同時に、対等だと見ていない証拠にもなるんじゃないかな。この大らかさは、余裕の表れは、彼女を対等に見ている意識があるとは、言い難いのでないかな。(意識としてはそうでも、誰かに頼られるという形で自らの有用性・必要性を見い出そうとして、相手に依存していたのは竜児も同じで、となれば本質的にふたりは対等である、とも言えますが、まー、さすがにそれはここで置いておきます!)

 彼の生まれによるコンプレックスから「父親になりたかった」というのは大いにあるでしょう。それはもちろん、対等な関係性、ではない。
 だからこそ事あるごとに大河に対する性的な視線を自分の中から排しようとしていた、というのはこれまでもそれとなく描写されて来ていました。

 彼は前回、壊れたものは直せばいいと言った。水晶の星のように、歪な形で、前とは違った姿でも、あるいはひとによっては「前よりも綺麗」に映るかもしれない。

 それがよいか、悪いかは、別として。直る、と断言したことは確か。

 今回、大河との関係は壊れました。また、それを目の当たりにして、実乃梨との関係も壊れ、幾度も忠告したのにその状態になるまで放置した、あるいは亜美を見てなかったことで、彼女との関係性もまた然り。

 竜児にはこれらの修繕が可能なのかな、というと。僕は可能であると信じたい。

 原作感想で何度も何度も何度も書いていますが、僕としては、大河との関係を逃げ道にしてはならず、たとえば「実乃梨が自分を受け容れてくれないから」とか「世界その全てが自分を受け容れてくれないから」という状態のとき、逃げ道として、大河(や他の誰か)を利用してよいのかというと、そうではないと、僕は思うから。

 それは、お互いの歩み寄りを、そもそも対等な関係性を、おそらく否定していて、大河(や多くのひとびと)がまっすぐ自分の足で歩きたい願う気持ちを、そうしようとしてきた振る舞いを否定することになると思うから。僕は、登場人物たちの人間性(あるいは原作者・制作者たちの作家性)を否定したいとは思わないから。

 まずは、竜児が自分の気持ちを見つめて、次に、自分の視界に誰かを入れて、それを受け容れて、その上で湧きあがる気持ちがなんじゃろなってことを自覚して、それからの行動に期待したいところ。

 たぶん、原作とそれほど離れた行動を、彼は取らないでしょう。それでも僕は、期待だけは持ち続けようかな、という気がしてきました。