『のら猫の話』感想

 この記事だけやたらと時間を掛けて書いていたのですが、諸処の事情で一度消えてしまったのでやっつけ記事に。

 や、その、「たまには書くか」と詳細な物語の筋を書いてみたのですが、それが全部無駄になるとなんだか悲しいね。
 出力した感想の場合、たとえなんらかの事情で消えても結局頭には残っているので、モチベーションさえあればまた再出力可能じゃあないですか。

 でも、単に筋を書くのって手間なだけで、かつ、未読のひとにはネタバレになるってしまうという特に書くメリットのないもの(僕の感想は主に既読者向けです。つーか、僕が書いて僕が読むのが主目的)

 ともあれ、愚痴のが感想本文より多いのもあれなので、早速……追記で。
のら猫の話 (小学館文庫)
著者:吉村 明美
販売元:小学館
発売日:2004-12
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 本作は表題作「のら猫の話」をはじめとした三編が収録された吉村明美の短編集。
 どれも過去にプチコミックにて掲載された読み切りで、一度フラワーコミックスレーベルで漫画単行本として出版されたものがコミック文庫として再販されたものが、本作(だと思う)。

 とりあえずここでは表題作についてだけ書く。
 他の短編も、描いてあることに、おそらくそんな違いはないはず。特に「青空」については、「のら猫の話」の鏡像みたいなお話なので、ここで触れずともよい(はず!)。

◇のら猫の話◇
 コンビニでバイトする大学生・二本木と、高校生の行き倒れ少女・野村美根子のふたりが主人公。

 片方の主人公・二本木。下の名前は結局明かされなかった。謎だ。
 彼の持つ、捨て猫を見殺しにした苦い思い出。ひどく心惹かれたけれど、「誰かが拾うさ」と去ったすぐ後、車に引かれた仔猫。

 その仔猫と、人間の女の子を重ねる、というのはどうなのかな。
 僕はちょっと頭の残念なひとなので、そこらのどこにでもいる老若男女よりもそこらのどこにでもいる野良猫のが大事なのですけど、あまり一般的な感覚では、ないかな、とも思う。

 二本木的な捨て猫観というのは。
 ひどく愛くるしいし、頼られると嬉しいけれど、誰かにすがって生きていくことしか出来ない生き物。

 彼は、甘えかかる先が、「自分だけ」でなければ、我慢がならない。相手が求めているのが「自分」ではなく「助けてくれる誰か」なのが気に食わない。

 ということなのだと思う。おそらくは。

 捨て猫への対応、コンビニの同僚と美根子が楽しげに寄り添ってホテルへ向かうところを目撃したときの激昂っぷり、帰ってきた美根子へ投げかけた言葉。その辺から想像するに、ですけどね。

 ただ、彼の

「あのときの仔猫は誰かが道端に捨てていた」
「でも今度は俺が捨てたんだ!」
「一度は拾っておきながら、やっぱりかわいくないって、俺が道端に投げ捨てたんだ!」

 という慟哭にも似た心の叫び、から考えると。

 おそらく彼は「捨て猫を拾わなかった」ときに、何か臆病にならざるを得ない出来事を経ていた。

 それはひとに慣れた野良猫が誰にでも擦り寄るように、女性関係でなにかあったのかもしれない。
 女性関係でなくとも、ひどく少年的な「特別なナニカになりたい自分」という欲求(自己承認欲求というと大仰のような気もする)を持っていたものが、「そうはなれない」という諦観を、抱えてしまったせいなのかもしれない。

 結局、最後には彼は美根子を求めていた。その際、どのような葛藤があって、どのようにしてそこから抜け出したのか。

 行動だけを見ると、「相手にとって自分だけが求められていなくとも、自分の方が相手を求めていればそれで十分だ。求めているものを傍におきたい」と読める。

 求められない、認められない、そんな苦しみ。そして、それでも尚求めてしまう、苦しみ。

 その苦しみを、彼は受け入れた。受け入れることで、求められる喜びは得られなくとも、求める喜びを、自分が好きだというものを好きだと叫ぶことを、行った。

 そうすれば、少なくとも、“悔い”は残らない。
 何をやっても苦しいのなら、せめて、後悔のない生き方を選ぶ。

 そして、それは美根子の選んだ生き方でもあって。

 オチは詳しく書きませんが、まあ、ハッピーエンド。僕は、読み終えたあと、すがすがしい気持ちになれました。

 後悔のない、あるいは限りなく少ない生き方を、誰もが出来ればいいのにね。