今日の雑記@08年4月15日分「美しければそれでいいの?」

 気付かないかもなので言っておきますと、僕はちゃんとコメント欄に「もっふるもっふる」と書いています。
 縦読みとかの暗号とかでもなくてね。

参考記事:【ジョークはカエルと同じである】(アルファルファモザイク)

【マクロス・ゼロでは妹に激萌えした】(COCORO・de・LIVE)
「歌えれば演技力なんて関係ない」
 というのはマクロスの伝統の様な、そうでないような。飯島真理さんとか南里侑香さんとかは当て嵌まるんですが、他は……うーん。バサラもシェリルも歌は吹き替えですものねー。



▼追記部分について
ぽてまよ談義へのコメント某Dさんへの言及もあり)
・視聴アニメメモ「true tears」「ef -a tale of memories」「シムーン

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【ぽてまよ考察談義ログ 「ぽてまよは森山素直が自立するドラマ」】(アニ☆しね)
 今年の始めに大阪遠征した目的のひとつに「ぽてまよ談義!」というのがあったはずなんですが、まず場の空気をこなれさせるために軽い話優先で後回しにしていたんですよね。気付くと別れ際、駅への道すがらに話すことになってしまったという(´ー`)

 あのときのリベンジが、今果たされようとしているんですよ!!(ぉ

 どうでもいいようで全然よくないこととして、現在アニ☆しねの記事は990。もう直ぐで1000ですが、いつの間にか記事数だけでは前ブログを越えていたりするのかしら。

【自重できなくなるのがこわいのです】(あにたむ亭)
 自重するのがCowaイイ(´・ω・`)?

 京ちゃんは大人じゃないよ、お母さんだよ。だからぐちゅはやっぱり“子供”でいいと思うんですが、これは一体誰に掛かるのか。ぽては素直に掛かってた。テーマに掛かっているのだー、でもいいと思うけれどやっぱりねね様なのかなぁ。
 ねね様は自分の家族を守っているし、むったんを守っているし、京ちゃんも守っている。みんなのお父さんなのでしょう。とすれば、彼女に足りないのは手を差し伸べることではなく、手を差し伸べられること、なのかな。むーん。

 でも、京ちゃんところはあの家族だけで完結しているような気もするし、ビミョー。ねね様×むったん×初芝ラインは、京ちゃん×ぐちゅ子ラインとは違っているのかなー。やー、ねね様と京ちゃんの関わりは強いから、ねね様×京ちゃんラインがあってぐちゅ子に取られて寂しいからこそむったんの出番がある?
 すると、やはり母離れがひとつのメッセージとしてはありそう。大きな言い方をすれば、世界と向き合うこと・理不尽と戦うことかな。それをしなければ次第に腐っていってしまうから。

■某Dさんの戯言♪

ボクは、ぐじゅ子もスナオのメタファだと思いました マル

平たく言えばスナオの排他的な部分の象徴じゃないかな~って思いますです。最終話でポテ同様、ぐじゅ子もスナオの変化に呼応してましたし、生まれも同じスナオん家の冷蔵庫ですし。自分の中ではそれでFAっすw

 “子供”の象徴なのは同じでいいと思うんですが、ぽては直接素直に掛かっているのに対してぐちゅは違っているじゃあないですか。
 ですから、「僕はねね様に掛かっていると思うなー」と上の方のコメントに書いておきました><



■視聴メモ

 自分が後で総括記事を書くためのメモ書きなんで推敲とかしないよ!

・ef -a tale of memories. 第1話
 2週目。蓮治くんの独白は、彼の書いた小説の冒頭。全てが終わった後の始まり。

 空を見上げていたのは、泣きそうだったからだっけかね。「またね」で次の日に繋がった。未来に繋がった。

 エンドロールで原画さんに竹井正樹氏がいてビビったんですが、そういや当時も話題になってたっけかね。

true tears 第1話
 比呂美のことを想いながら水彩画を描いている眞ちゃん。もっと優しい絵、泣いている目でも後ろ姿でもない絵が描きたかったということなのよね。天使が君の涙を集めてくれればいい。涙で首飾りを作って木に飾る。初見時も書いたけどやはり悪趣味。何だよ出会う前に、眞一郎のイメージに乃絵がいるよ。
 乃絵との出会い。紅葉している木の上で木漏れ日を浴びている彼女。「降りられなくなっちゃったの」うあああああああああああ!!!!!降りられなくなった。降りられなくなっていたのか。そこで、ようやく眞一郎が見付けてくれた、受け止めてくれた。いわゆるひとつの運命の出会いでしたね。あなたは飛ぼうとしない鶏。お前は飛べそうだもんな、ええ。

 酒蔵を覗く眞一郎。迷いが、あったのね。彼ってば、あるいは「家を継いでくれ」と言って欲しかったのかもなー、なんて思うですよ。あいちゃんの家はよー分からんまま終わっちゃったよねぇ。両親のこととか。学校が終わってから店を開けるっつーことは、少なくとも「あいちゃん」はほぼ彼女だけ運営しているということだけはよく分かるんですけどね。いつも小さくなっている。彼が作ったのはどちらかというと、“じべた”の方だよね。箱の色的にはどうしようもないんですが。
 やはり、ママンは色々なことが重なって比呂美に当たっていた、ということなのよね。バッチ来い。あなた、飛べるんじゃない?雷轟丸襲われる、じべたは生き残る。人を呪わば穴二つ。彼女は泣かなかった、心が震えなかった、か。それはどうだろうか、これは心が凍っていたから。雪が溶けなければ水とはならない、涙にはならない。“死”という概念の理解を拒んだ、とまで言ってしまうとやはり“自己暗示”なんですが。

 なんだろう、結局は「みんなぽてまよを観ていればいいよ!」で済んじゃいそうだなぁ。でも、そうね。そのバラとぼくのバラは違うよ、バラはバラでもぼくのバラではないんだよって言われてしまいそうですし、こういう言葉はナンセンスですね。言ってはいけないことのひとつだ。
 作品を楽しむことというのは、話の筋を追うことだけではない。梗概を読んでいればいいとか、そういうことではない。それで“分かった”気になるなんて、冒涜だ。やはり楽しむにはまず作品と付き合うことが必要なんだろうな、と思います。心に留めて、考えることが。

シムーン 第1話・第2話
 なんかヤンデレっぽいカイムかわいいよカイム。傲岸不遜といった調子で、けれどもノンブレスオブリージュという言葉からは無縁そうなフロエはどうだろか。好きってほどではないけれど生々しさはある。
 ネヴィリルはよー分からん。能力はあってきちっとした倫理観・宗教観はありそうだけれどどこかで自信がなくてじめじめオドオドしているキャラにしか見えん。アーエルは何か格好よさげ。“気高い”という言葉にもっとも近そう。
 リマージョンのSF的解釈は出来そうにない、かなぁ。ファンタジーとして、彼女たちの信仰に対する一つの答えとしての解釈は見ていくうちに書けそうではありますが。